Luigi Cozzi

ルイジ・コッツイ インタビュー

聞き手:アンドレア・ジョルジ(94年)

「 La Portiera Nuda (The Naked Concierge)」はどんな映画ですか。

----屑のような映画だね。金のためだけに監督した。シャワーを浴びている女性がいて・・・、そこが、一番いいところかな。今となっては、この種の映画はお子さま向けだね(笑)。

「ラストコンサート」については。

----大好きな映画だ。本当に良い映画だと思う。イタリアではヒットした。音楽家と白血病に侵された少女とのラブストーリーだね 。

「スタークラッシュ」については何か。

----アメリカ資本の大予算映画だった。何年かの間、スターウォーズの模倣作品がたくさん作られた。例えば、アルフォンソ・ブレッシア(英語名アル・ブラッドレイ)は4、5本撮ったんじゃないかな。でも、信じがたいぐらいひどい仕上がりだった。わたしの作品はそれとは違って、特殊効果をふんだんに使ったイタリアで初めての映画なんだ。特殊効果に300フレームぐらい使ったと思う。ストップモーション、レーザー剣、宇宙船の飛行。その時代にはすばらしいものだったんだ。

興行的には成功しましたか。

----海外では大変成功だった。わたしの映画の後にキャロライン・マンローはマニアックに出演したのです。イタリアでも非常に成功した。

「エイリアン・ドローム」について話しましょう。

----この映画を監督した訳は、イタリアの映画界で働くにはアメリカ映画の大作の模倣をしなければやっていけないからだ。その当時、エイリアンがヒットしていたので、わたしはリドリー・スコットのエイリアン風のストーリーを考えた。しかし、わたしはホラーよりもファンタジーが好きだ。大監督だけがオリジナル映画を作ることが許される。その他の大部分の監督は有名な映画のものまねをしなければならない。最初の題名は「エイリアン地球襲来」だったが、配給業者はエイリアンの物まねをしたがらなかった。配給業者は「映画の出来はいい。エイリアンという言葉がなくてもヒットするよ」と言った。しかし、イタリアでは大ゴケしてしまった。シロー・イポリート(サム・クロムウェル)が監督した「エイリアンズ」というエイリアンの模倣作品は自分の映画より出来が悪かったがヒットした。オリジナリティーは割が合わないものだ。

ダリオ・アルジェントのことはどのように思っていますか。

---アルジェントは長年の知り合いだ。わたしは60年代に「ステュポーレ・エ・ファンタジア」というSFのファンジンを作っていたが、その後でジャーナリストになり、アルジェントのことを書き始めた。ふたりは「四匹の蝿」「フェノミナ」「マスターズ・オブ・ホラー」で一緒に仕事をし、大親友だ。ホラーショップ「プロフォンド・ロッソ」の共同経営者でもある。

なぜ、「超人ヘラクレス」を撮ろうと思ったのですか。

---プロデューサーのゴーランは若い頃に見たヘラクレス映画のファンだった。ルー・フェリーニョは新しいスティーブ・リーブスになりたいと思った。そこでこの映画が生まれた。最初、ブルーノ・マッティが撮る予定だったが、彼の脚本はプロデューサーを納得させることはできなかった。アメリカ市場向けではなかったんだ。そこでわたしが新しいヘラクレスの脚本を書き始めた。「タイタンの戦い」に「スーパーマン」を混ぜたような話をプロデューサーは気に入ってくれた。「超人ヘラクレス」はイタリア映画としては珍しくバラエティ誌のヒットパレードに入った。そこで、続編を撮ることに決めた。続編にはブルーノ・マッティの「7人の輝ける勇者たち」の最初のシーンとその他いくつかのシーンを利用した。ものすごく低予算だったが、ロケ地はナポリ近くの小さな島、ガエタだった。

ダリア・ニコロディは「パガニーニ・ホラー」は自分が仕事をしたなかで最低の作品だと言っていますが。

--彼女は正しいと思う。すばらしい脚本を書いたんだが、みすぼらしい映画を撮らなければならなかった。わたしは契約書にサインし、プロデューサーはあらすじを読んでこう言ったんだ。このシーンは金がかかりすぎるとね。そこでカットを余儀なくされた。そうしなければ、映画を作ることができなかったからだ。ホラー映画は当時もヒットしていたが、パガニーニ・ホラーは傑作にはならなかった。

「デモンズ6」を撮影中にトラブルがあったそうですが。

----詐欺まがいのことがあった。良い作品でなかったり、有名俳優が出演していない場合、プロデューサーは観客をだまそうとする。そこで、配給業者はタイトルをエドガー・アラン・ポーの黒猫とすることに決めた。たとえそれが嘘でもね。

もっといえば、あるプロデューサーは金を持って夜逃げをしてしまった。映画界は無法者の世界だね。本当のタイトルは「De Profundis (深き淵より)」だったが、エドガー・アラン・ポーが原作の映画2本とパッケージにされたために、タイトルが変わってしまった訳だ。

ランベルト・バーバ監督と「死神ジョーズ・戦慄の血しぶき」などで一緒に仕事をされていますが。

----プロデューサーのルチアーノ・マルティーノはわたしを呼びつけてこう言った。「われわれはジョーズの小型版を作らなければならない。でも、スピルバーグのよりももっとすばらしく、スペクタクルに溢れたものをだ。しかし、一双のボートと100リラしかない。(ローマの近くの)オスティアで撮影しよう」。わたしは脚本を書いただけだったが、いい映画だったと思う。イタリアでは若干カットされて公開された。