PROFILE of DARIA NICOLODI

daria nicoldi


少女から女優へ

 ダリア・ニコロディは、1950年6月19日生まれ。ダリオ・アルジェントとは正式な結婚をすることはなかったが、長年に渡って公私を共にする仲であった。彼女の生まれ育った家はフィレンツェのベッロズグアルドと呼ばれる丘にあった。木々の緑が美しい田舎町で、春にはフジやライラックが咲き乱れ、夏には大地を蛍が飛び交う。ダリアはそのような素晴らしい景観のなかで、のどかに幼い時代を過ごした。


 ダリアの父親は法律家でカトリック教徒、母親は心理学者で社会学の権威のユダヤ教徒であった。また、妹はのちに大学教授になった。このような家庭の中で、祖母だけは違っていた。ダリアの祖母、イヴォン・ミューラーは千里眼の持ち主であり、優れた白魔術師であったのだ。祖母はダリアによくおとぎ話をしてくれたそうで、そのうちのひとつに触発されて「サスペリア」のプロットが生まれたのである。

 ダリアは若くして女優になりたいと思い立った。当然、両親は反対したが、彼女は家を出て自分の意志を貫いた。彼女はフェレンツェの学校で英語を学び、普通より2年早くそこを卒業、その後、ローマの演劇学校へ入学し、イタリアのもっとも偉大な舞台監督であるルカ・コンコーニと出逢う。その一年後、彼の力もあってか、ベニスで開かれた演劇フェスティバルで若くして主演女優として舞台デビューを飾ることになる。もっとも、14歳の時から様々な演劇の舞台には立ってきたが、プロとしてのキャリアは18歳の時に始まる。映画デビュー作は彼女の前の夫である彫刻家のマリオ・チェローリが演出した16ミリのアバンギャルド作品、ラーラ(RARA)だった。続いて、テレビ映画ではあるが米国では劇場公開もされた『ベールに包まれた女の肖像(原題)』、1970年にフランチェスコ・ロージ監督の『総進撃』に出演、その他いくつかの作品に出演した。エリオ・ペトリ監督の『LA PROPRIETA NON E PIU UN FURTO(PROPERTY IS NO LONGER THEFT)』では女優賞を得、女優としての自信をつけた。

 後年になってサルトルの『出口なし』の制作を渇望したほどミュージカルと古典劇をこよなく愛したニコロディは、映画と演劇の道でキャリアを積もうと考えていた。しかし、アルジェントとの出会いが彼女を変えた。

アルジェントとの衝撃的な出会い

 ダリアはダリオ・アルジェントの『歓びの毒牙』を観て感銘を受ける。彼女は何とかしてダリオと仕事をしたいと考えるようになり、いろいろと接触を試みる。ダリオとダリアが正式に会ったのは『サスペリア2のオーディションの時であったが、実はその前にふたりは空港で偶然にすれ違ったことがあるという。ダリオはフィアンセとアフリカに、ダリアは元の夫と南アメリカに旅立つところであった。ふたりともそれぞれの相手には愛情をなくしていたという。ダリオは心の中で「フィアンセの代わりに僕と一緒にいかないか」と叫んでいたらしい。しかし、そのときはそのまま元の相手と旅に出るふたりであった。

 アルジェントはデビッド・ヘミングス主演でミケランジェロ・アントニオーニが監督した『欲望を見て、『サスペリア2のキャスティングでは、か弱い感じのするヘミングスに対して強いイメージを持つ女性を登場させる必要があると考えた。そこで女性記者ジャンナのキャラクターが生まれ、ニコロディは強い女性を演じることになったのだった。この映画における腕相撲のシーンは印象的。ジャンナはヘミングス演じるピアニストのマークを腕相撲で負かしてしまう。マークとジャンナのセックスについての言い争いも面白い。後年、アルジェントは多くの点で『サスペリア2はダリア・ニコロディに対する求愛を含んでいたと告白している。だが、ダリアはその当時、一人で生きていく覚悟ができていたらしい。そのため特別な好意を持って近づいてくるダリオに対して非常に冷たく接したのであった。

 ダリアとダリオ・アルジェントとの関係は『サスペリア2の撮影開始後3週間目から始まり、アルジェントとニコロディの関係は私生活においても仕事においても良好に続いた。1977年になって、ニコロディはマリオ・バーバ監督の『ザ・ショックに出演する。ニコロディはマリオ・バーバを「非常に不思議な人、紳士的で、素晴らしい人だった」と評価する。ザ・ショックでのニコロディはサスペリア2とは正反対のキャラクターを演じている。ニコロディが演じるドーラは精神を病んでいて、弱い女性。息子のランベルト・バーバが助監督としてクレジットされているが、実際は視覚効果のないシーンなど、重要でない部分をマリオは息子に任せていたという。

はじめての衝突

 『サスペリアの時にふたりの間に仕事の上での始めての衝突が生じた。その後、個人的な愛情の面でも衝突が起こるようになってしまった。『サスペリアの脚本はダリアのすべてを出し切ったものであり、彼女は自分が主演をすることを予定して書いたものである。そのため、主演が自分ではなく、アメリカ人のジェシカ・ハーパーに決まるとダリアは準主役のサラの役を断り、映画を降板してしまう。

 続く『インフェルノでは、クレジットこそされていないが、実はダリア・ニコロディがこの作品の原案を担当しているのである。しかし、結局アルジェントが脚本を書くことになり、ダリアの名前はクレジットされなかった。この当時、彼女はダリオの影のような存在で満足していた。ニコロディはフランス人ジャーナリストのキャロライン・ビーとのインタビューで次のように答えている。「インフェルノではわたしは脚本家としてクレジットされていない。代わりにプロデューサーはわたしをカリブ旅行に連れていってくれるといった。クレジットを欲しいとは思わなかった。目立つ立場にはなりたくなかったの。消えてしまいたかったぐらい。わたしはダリオの影でいたいと思っていたわ。でも彼と別れてみると彼の作品にわたしがどんなに貢献していたか、認めて欲しくなってきたの」  

 『インフェルノでもマリオ・バーバは視覚効果を担当している。誤解されていることが多いが、マリオ・バーバは地下室の水中シーンは担当していない。マリオの申し出により、彼の名前は映画にはクレジットされていないが、インフェルノはまぎれもなくマリオ・バーバの遺作である。

 このように彼女はサスペリアとインフェルノの原案作成に参加している。ニコロディはオカルトに対する強い興味を祖母から受け継いだ。祖母はジャン・コクトーと働いたことのあるパリ在住のユダヤ人だった。前述したように、サスペリアのストーリーはニコロディが祖母から聞いた話が元ネタの一つとなっている。ニコロディはこんな話もする。「子供の頃、バーゼル近くの学校にピアノを習いにいっていたことがあるの。しかしピアノよりも早く、黒魔術のことを学習してしまったわ」

 多くの黒魔術の専門家に会うなど、映画のための資料集めをした後、ニコロディはサスペリアで何人かの女性の配役を考えた。しかし、最終的に彼女は出演しないことに決めた。冒頭の空港のシーンでカメオ出演しているだけである。

 ダリア・ニコロディがウイリアム・ラスティグ監督の『マニアックの出演を断ったのは、彼女がインフェルノに熱中していたためだろう。マニアックでニコロディが演じることになっていた役はキャロライン・マンローに変更された。後になって、マンローがニコロディの脚本によるルイジ・コッツィ監督の『デモンズ6」に出演することになったのは興味深い。ラスティグは「シャドー」の撮影にも参加している。シャドーでは推理小説作家、ピーター・ニールの秘書の役を演じた。変質的なファンに追いかけられる作家はアルジェントの体験に基づくキャラクターでもある。

アルジェント作品以外でも活躍、そしてジャーロからの決別

 その後、『シャドー『フェノミナ『オペラ座/血の喝采といったアルジェント作品に出演するが、アルジェント作品以外でもニコロディは活躍。魔女もの3部作の完結を意図して『デモンズ6(DE PROFUNDIS)の脚本を書き上げた。しかし、ルイジ・コッツイが監督したその作品は娯楽に徹した作品ではあるが、混乱しているうえに壊滅的な出来だった。『オペラ座/血の喝采のウルバーノ・バルベリーニとフローレンス・ゲランがアルジェントとニコロディもどきの夫婦を演じているのはご愛敬だが、ニコロディはこの作品に関しては自分の名前を一切クレジットさせなかった。自分の名前に傷が付くと考えたのかもしれない。魔女ものの完結編をルイジ・コッツイが撮るのはいささか荷が重すぎたようだ。

 エンツォ・G・カステラーリ監督の『シンドバッド(原題)ではナレーターを務めた。ルイジ・コッツィが企画したこの映画は、ニコロディがシンドバッドの冒険を小さな娘に読んで聞かせるという形式になっている。小さな娘はルイジ・コッツィの実の娘が演じた。 コッツィ監督の『パガニーニホラーでは共同脚本のクレジットがされているとともに出演もしている。『デモンズ6」と同じように出来の良くないこの作品に出演をし、共同脚本のクレジットまで載せるとは、ダリア・ニコロディの一時の迷いだったのだろうか。ニコロディはこの映画についてはこんなコメントをしている。「この映画は安っぽく、満足のいかない出来でした。ルイジ・コッツィはマリオ・バーバとは違う」。コッツイがキャノングループの制作で監督した「超人ヘラクレスのアテナの役を降板したのももっともである。

 このあと、イタリアンホラーは低迷していく。マリオ・バーバの息子、ランベルト・バーバの作品を見ても明らかだ。ランベルトの『デモンズキラーに出演するものの、ニコロディにはイタリアンホラーがかつての栄光を取り戻すことはないと思えたのだろう。ニコロディは自分の経歴を汚さぬよう、そっとジャーロの世界から身を引いた。彼女はニューヨークに移り、恋人と暮らし始めるのだった。

面影はアーシアに

  ダリア・ニコロディはジャッロ以外の作品でも功績を残している。フェノミナと同時期に作られたエットーレ・スコラ監督のマカロニ』ではジャック・レモンの秘書を演じている。他の多くの女優と違って、ニコロディはホラー映画に出演することに対して否定的なコメントをすることはない。彼女はホラー&ファンタスティック映画を愛しているのだ。ツイ・ハークに代表される香港映画の監督を高く評価し、ウエス・クレイブン、ジョン・カーペンター、サム・ライミ、デビット・リンチ、ミケーレ・ソアビ、ルチオ・フルチらが大好きだという。

 フルチはジョン・マーティン氏とのインタビューで以下のように話している。「ニコロディは最高の女優だ。アルジェントとわたしの人間関係はよくなかったから、彼女を自分の映画で使うことができなかったのだ。現在はアルジェントとわたしはうまくいっている。でも、彼女を使うことはできない。アルジェントとニコロディは別れてしまったからだ。悲しいことに、(わたしの監督する予定の)『肉の蝋人形』に出てくれとは言えない。アルジェントの私生活への干渉になるからね。でも、彼女にうってつけの配役を用意してある。最近は仕事をしていないみたいだが、素晴らしい女優のひとりには違いない」。

 2000年、ダリア・ニコロディは、娘アーシアの監督作品であるスカーレット・ディーバにわずかながら出演した。だが、ダリアの姿を新作ホラー映画で見ることはできないかもしれない。しかし、彼女の面影は娘のアーシアに受け継がれている。 


主なフィルモグラフィー

  1. スカーレット・ディーバ(2000)
  2. La Parola amore esiste(1998):アンジェラの母親
  3. Viola bacia tutti (1997): シビラ
  4. La Fine e nota (1993)
  5. Sinbad of the Seven Seas (1989) :ナレーター
  6. パガニーニ・ホラー/呪いの旋律 (1988)
  7. デモンズ・キラー/美人モデル猟奇連続殺人(1987)
  8. オペラ座/血の喝采(1987) :ミラ
  9. アルジェント・ザ・ナイトメア/鮮血のイリュージョン (1985)
  10. マカロニ (1985) :ラウラ・ディ・ファルコ
  11. Dario Argento's World of Horror (1985)
  12. ."Sogni e bisogni" (1984)テレビシリーズ
  13. フェノミナ(1984) :ブルックナー
  14. シャドー (1982) :アン
  15. Il Minestrone (1981)
  16. インフェルノ(1980):エリーゼ
  17. ザ・ショック (1977) :ドーラ
  18. サスペリア2 (1975) :ジャンナ・ブレッツィ
  19. La Proprieta non e piu un furto (1973)

 

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