Dario Argento Interview 1

--映画監督として、最も影響を受けたのは誰からでしょうか。
「若いころ、多くの批評家がわたしのことをイタリアのヒッチコックだと評価した。だが、影響を受けたのはドイツの表現主義に遡る。フリッツ・ラングやカール・ドライエルの吸血鬼には大きな影響を受けた。一番最初に見たホラー映画は、家族と一緒に見たクロード・レインズ主演の『オペラの怪人』だ。わたしは非常に恐怖を覚え、それ以来、沢山のホラーを見たいと思うようになった。『肉の蝋人形』も好きな映画の1つだ。ビンセント・プライスの怖い顔が忘れられない」

--自分自身をホラー映画マニアだと思いますか。
「そう。わたしはホラーマニアだ。おかしいと思うかもしれないが、わたしはホラーが今でも大好きだ」

--映画界に入ったきっかけは。
「セルジオ・レオーネと知り合いだった。ベルナルド・ベルトリッチも同じだ。セルジオがわたしとベルナルドに、自分のために脚本を書いてくれないか、と言った。われわれは6カ月間、『ウエスタン』の脚本を書き、映画は大成功を収めた。わたしは続いてピーター・グレーブスの出た『五人の軍隊』を書き、幸せな時期だった。われわれは希望を持っていた。残念なことに、セルジオは今はもういない。イタリア映画界も沈滞している。イタリアには1つの映画制作集団があるだけであり、その集団に入っていなければ、映画は作れない」

--監督1作目は「歓びの毒牙」でしたね。
「26歳の時に作った作品だ。配給業者は映画を見て、ひどい出来だ、誰もこんな映画は見たがらない、と言った。サスペンスに欠ける。もっとヒッチコックばりにしろ、と言う。だが、わたしは自分のスタイルを貫くと言ってやった。もちろん映画はイタリアとアメリカで大成功し、それ以来、誰もわたしに忠告をしなくなった」

-‐次に来たのは。
「わたしは目撃者だ。カール・マルデンが盲目の元新聞記者を演じた推理ものだ。この映画では現実性のある暴力を追求してみた。この映画では、エレベーターホールで死ぬ犯人が描かれる。その次に『四匹の蝿』を作った。殺人を目撃したドラマーをマイケル・ブランドンが演じた。この映画のタイトルは犠牲者の目の網膜から犯人を探し出そうとした警察の実験からとられた。網膜にレーザー光線を当てると犠牲者が最後に見た映像が浮かび上がるというもので、それがちょうど『四匹の蝿』というわけだ」

--サスペリア2は。
「『サスペリア2』は大好きな作品だ。デビット・ヘミングスが演じるキャラクターは私自身の性格に基づいている。もちろん殺人を目撃したことは無いが。これは力強く、暴力的な映画で、もちろんカットされるシーンも多かった。ある国では1時間近くもカットされた。だが、完全版はイタリアで上映され続けている」

--続く『サスペリア』ですが、ペースとなるものが変わったようですか。
「わたしはいつも超自然的なものに興味を持ってきた。ダリア・ニコロディと一緒に欧州を旅して回り、ルドルフ・シュタイナーコミュニティというスイスのコミュニティーに出会った。大きな家のなかで、人々が詩や踊り、音楽を学んでいた。それが『サスペリア』の発想の源となった」

--『オペラ』は。
「『オペラ』はオライオン映画が買い付けた。イタリアではヒットしたのに米国では公開しないことに決まったが、なぜだか分からない。『オペラ』というタイトルは『オペラ座の恐怖』に変えられた。ひどいことだがわたしは受け入れた。だが金を出してこの映画を買った挙句、映画を公開しないということはどういうことだろう。狂っていると思う。オペラは非常に残酷な映画で非常に強い映画だ。個人的には、わたしの全映画の中で最も難解な映画だと思う。複雑なショットも多い。英国で公開できなかったことは残念だ。リュック・ベッソンの『ニキータ』には『オペラ』から引用したシーンがある」

--『マスターズ・オブ・ホラー』はロメロとの2度目の共同の仕事ですが、最初は『ゾンビ』ですね。
「そう、『ゾンビ』だ。大変幸せな競作だった。ロメロはすばらしい人物で聡明な監督だ。ローマで彼と脚本を書いた。ロメロに『死霊のえじき』も一緒にやらないかといわれたが、そのとき、ちょうど『フェノミナ』の仕事に取り掛かっていたので実現できなかった。

--『ゾンビ』ではカットの問題はありましたか。
「カットはどこでも問題になった。フランスでは8回も検閲を受け、最後には少ししか残らなかった。最長版はイタリアで見ることができるが、アメリカ版より少し長いだけだ。アメリカ版は良い出来だと思う」

--いつも自分自身で脚本を書かれますが、その発想はどこから湧いてくるのですか。
「悪夢からだ。悪夢を書き留めるのは簡単なことではない。最も時間のかかる仕事で、何カ月もかかる。最終稿にいたるまで何度も書き直し、推敲を重ねる」

--映画音楽も特殊ですね。
「音楽はわたしにとって非常に重要だ。映画ごとに変化を加える。例えば『フェノミナ』ではそれぞれのシーンに違う音楽家の曲を使いたかった。そこでビル・ワイマンがスイスの山で最初の少女が殺されるシーンの曲を書いてくれた。そのあと、モーターヘッドのようなヘビーメタルグループやシモネッティの曲を使った。そのほうが面白いと考えたからだ」