Dario Argento Interview on Sleepless

『スリープレス』について、2000年12月のインタビュー

今回の作品では、1年半という長い期間をかけて脚本を執筆したが、今までにないほど事件の手掛かりをたくさんちりばめた。古典的なスリラーとは、数学と同様で、方程式に欠点があってはならない。そのため、この作品の完成までにこれだけの時間がかかった。

−−好きなミステリー作家は?
「映画はやはり、ヒッチコックが最高だと思う。文学では、古いところでは、コーネル・ウーリッチや近代のジェームス・エルロイなどの作品が好きだ。だが、50年代のスリラーの技巧についての研究は、やはりアガサ・クリスティーがはしりだろう。ミステリーにおける確立した形を創りあげたのが彼女だ。多くの人々から批判を受けたとしても、彼女こそスリラーにおけるフロイトだといえる。他にも大好きな作家はたくさんいて、パトリシア・コーンウェルなども好きだ。

−−『スリープレス』は残酷で血なまぐさい映画だが、一般の人々にも受け入れられると思うか?
「わたしは映画のなかで、残酷でみじめで乱暴な幼児体験を持つ子供たちを描くが、わたし自身はとても普通の幼児期を過ごしてきたと思う。良い父親と、すばらしい母親に育てられ、学校での成績も良かった。しかし、ある種の物語を読むことによって、子供時代の思い出が蘇ったり、すべての子供たちが一度は経験したことのある悪夢を思い出したりすることもある。コーンウェルのような作品を読むということは、そういったトラウマを再現させることで、幼い頃の想像から生まれた恐怖心を客観的に見ることを可能にするということではないだろうか。つまり、恐怖という感情を客観的な視点から見つめ、自我を解放させるということだ」

−−タイトルについては?
「わたしはいつも不眠症に悩まされていた。だからよく一晩中起きて、むさぼるように本を読んでいた。だが、男の子は男らしく、激しいスポーツをしなくてはいけないといわれていたような時代だったため、当時は本を読むという行為を恥じ、隠れて本を読んでいた。そういう経験からこの作品には『スリープレス』というタイトルをつけた」

−−孤立することに恐怖を感じるか?
「すべての保護から離脱し、すべての関係抜きで行動することを孤立することだと考えると、人は孤立した瞬間から誰でもなくなる。この状況を理解することができたなら、わたしのいう精神世界を人々は理解できるだろう。わたしはフロイトを崇拝しているから、精神分析医の診察のように聞こえるかもしれない。いつも自分の作品は、わたしが観客に課する奇妙な精神分析の診察だと思っている。いや、もしかすると、自分自身にかもしれない」

−−心理分析をしてもらったことはあるか?
「一度もない。結局、われわれの人生とは部屋のようなものだ。部屋の中央には細い毛糸が渡してある。部屋の灯りが消え、自分が暗闇に包まれたとしても、その糸のそばに近づいてはいけないとわかっている。何年ものあいだ、糸のそばに近づくことはないのだが、ある日、ふと糸をさわってしまうことがある。するととたんに、自分がだれで、どこにいるかがわからなくなるのだ。それが人間の恐怖ではないだろうか」

−−そのような体験をしたことがあるのか?
「とても気をつけているおかげで、映画のなかだったらあるが、実生活においてはない」

−−あなたはとても物静かで、実直で、どちらかといえばナイーブな人間に見えるが、作品はまったくその逆で、残酷な悪夢を描いている。あなたのなかにはダリオ・アルジェントが二人存在しているのだろうか?
「その通りだ。わたし自身、自分に問いかけるときがある。『人々が考えている映画監督、ダリオ・アルジェントとはいったい誰なのだろう』と。『わたしはその人物を知っているのだろうか』と。他人はわたしのことを知っている。なぜなら彼らはわたしと語り、夕食を共にし、時にはわたしと愛を交わすこともある。しかし、わたし自身がダリオ・アルジェントというわたしと会う機会はない。時々、自分の作品を観ながら考えることもある。『すごいシーンだ。これを創った奴は才能があるな。わたしだったらこんな作品は創れない』と」

−−あなたのなかで二人が融合することは?
「脚本を書いているときだけだ。そのとき、わたしは変身する」

−−その変身について、作品中の被害者を殺害する殺人鬼の手はあなたの手だと聞いたが本当か?
「そう、わたしはイタリア最高の殺人鬼だ。過去30年間に90人もの人を殺害したことになる」

−−それはサディズムなのでは?
「とんでもない。ただ今となっては、わたしはホラー映画のエキスパートなんだ。撮影のために何度も繰り返し最高の刺し殺し方や絞め殺し方を練習しただけだ」

−−本当に誰かを殺したいという欲望の表れなのでは?
「わたしは菜食主義者だ。ハエすら殺さない人間だ」

−−あなたは信心深いとも聞いたが?
「その通りだ。ミサにもよく行くが、迷信家ではない。もっとも幽霊や魔女たちに囲まれたホラーの達人が、マリア像に祈りを捧げるなんて少し理解できないことかもしれないが」

−−信心をどうなって得たのか?
「12年前だ。わたしの父が亡くなったとき、不思議な出来事をいくつか経験した、。その時から、死後の世界を悟ったのだ」

−−それは天国か地獄か?
「地獄というものが存在するとは思っていない。わたしは何者も、わたしのようなものでさえも裁くことのない神の善を信じる」

−−あなたには恐れるものは何もないのか?
「たくさんある。暗闇、不意の攻撃や苦しみなどのちょっとしたことに恐怖を感じる。でもそのなかでも一番恐れていることは、わたし自身のパンドラの箱が解き放たれ、わたしが作品のなかで描いてきたすべての悪や陰などによって破滅に追い込まれてしまうのではないかという脅迫観念だ。それらの恐怖から身を守るために、孤独と共存しようとしている」

−−長い活動休止からなぜ、再びスリラーを創ったのか?
「また楽しんでみたくなったからだ。引き出しのなかにしまい込んであった古いカメラを引っぱり出すように、長い間、戻らなかった家に帰るようにだ。映画評論家のせいもあるかもしれない。かれらは過去にわたしの作品をあれだけこき下ろしたにもかかわらず、何年も経った今頃になって、再びわたしに微笑みかけてこようとした。しかし、そんな彼らの現在の態度が、わたしがかつて受けた迫害の埋め合わせになることはない。当時のわたしはポジティブな評価を受けるためにパリにまで行かなければならなかったのだから」

−−当時の70年代の殺人事件の狂気と、現代の犯罪状況を比べて、世の中で何か変化が起きたと思うか?
「根本的には何も変わっていないと思う。犯罪の手口は変化したが、われわれが恐れるものや、予測不可能な恐怖は、そのまま存在していると思う」

−−この作品でもそうだが、あなたは恐怖に関するすべての状況を表現しようとしているのか?
「超絶的、抽象的な題材を目の前にすると、興奮に震える。この作品では、年老いた祖母が幼いわたしによく話してくれた寓話が影響を与えたに違いない。父の書棚から盗み読んでいたポーの小説などもだ。正気と狂気の境界線は紙一重で、人間誰しも心の奥底で、狂気という道を探っていたいと切望しているのではないだろうか」