LA TERZA MADRE
サスペリア・テルザ/最後の魔女

Also Known As : Mother of Tears

Trilogy was closed


2007 Color


What you see does not exist. What you cannot see is truth.



[STAFF]

監督:ダリオ・アルジェント
製作:クラウディオ・アルジェント、ダリオ・アルジェント、ジュリア・マーレッタ
製作総指揮:カーク・ダミーコ
脚本:ジェイス・アンダーソン、アダム・ギラッシュ、ダリオ・アルジェント、ワルター・ファッサーノ、シモーナ・シモネッティ
ラインプロデューサー:トマッソ・カレヴィ
コンサルティング・プロデューサー:リー・ウィルソン
音楽:クラウディオ・シモネッティ
撮影:フレデリック・ファッサーノ
編集:ウォルター・ファッサーノ
キャスティング:モルガナ・ビアンコ
プロダクションデザイン:フランチェスカ・ボッカ、ヴァレンティーナ・フェローニ
美術監督:グレーテル・ファティベーネ
セット装飾:マリア・カストロビッリ
衣装:ルドヴィカ・アマーティ
メイクアップ:パオラ・ガタブルーシ、ジョルジョ・グレゴリーニ、キアラ・ウゴリーニ、ルーカ・ヴァネッラ
ユニット・マネージャー:アレッジオ・アンジェルッチ、ニロ・アルジェント
プロダクション・マネージャー:ジョルジオ・トゥレッティ
第二班監督:ニコラ・ロンドリーノ
第 1 助監督:レオポルド・ペスカトーレ
第 2 助監督:ルーカ・パドリーニ
第二班第 2 助監督:アルヴィゼ・バルバロ、ジョイア・カザーレ・カンブリア、ラウラ・グレコ

[CAST]

サラ・マンディ:アーシア・アルジェント
エンゾ・マルキ警視:クリスチャン・ソリメーノ
マイケル・ピアース:アダム・ジェームス
マーテル・ラクリマルム:モラン・アティアス
マルタ・コルッシ:ヴァレリア・カヴァーリ
グリエルモ・デ・ウィット:フィリップ・ルロア
エリザ・マンディ:ダリア・ニコロディ
ジゼル・マレス:コラリーナ・カタルディ・タッソーニ
ヨハネス神父:ウド・キア
リッソーニ:ロバート・マディソン
カテリーナ:市川純
ミレッシ神父:トマッソ・バンフィ
魔女:アラバ・デルトリ
魔女:ジゼラ・モレーニョ
ブルスカ卿:フランコ・レオ
コートの男:クライヴ・リッチ
エルガ:シルヴィア・ルビーノ
浮浪者:マッシモ・サルキエリ
魔女のガイド:シモーネ・シティ
赤ちゃんの母親:ジョージア・ザゴ

その他の情報

フィルムネガフォーマット: 35 mm
現像: Super 35
現像所:チネチッタラボラトリーズ(ローマ)
フィルムプリントフォーマット: 35 mm
画面比  2.35: 1
撮影開始: 2006年 5 月 15 日
ロケ地:イタリア・トリノなど
公開:カナダ: 2007 年 9 月 6 日(トロント映画祭にて)、イタリア: 2007 年 10 月 24 日(ローマ映画祭にて)、 2007 年 10 月 31 日、米国」 2007 年 11 月 2 日(アメリカンフィルムマーケット)、日本:2009年4月25日(渋谷・シアターN)
配給: メデューサ

ストーリー(結末にも言及しています)

ヴィテルボの墓地で、古いひつぎが発掘された。発掘に携わった枢機卿のブルスカは、その主が伝説上の人物オスカル・デラバレーのものであると知り、一緒に埋めてあった箱を車で持ち帰った。ブルスカは箱を封印し、友人の博物館館長マイケル・ピアースに、一部始終を書き添えてその箱を送った。

ローマ。博物館ではマイケルの助手で美術品修復を担当するサラ・マンディと同僚のジゼルが働いていた。送られてきた箱を見つけたジゼルは、サラを誘い、内証で箱を開けてしまう。箱には三体の偶像と、剣、緋色の衣が納められていた。サラが資料を取りにその場を離れると、どこからかサルが現れ、ジゼルを威嚇。ジゼルは飛び掛かってきた3体の魔物に内臓をえぐられて殺される。戻ってきたサラは殺されたジゼルを見て、その場から逃げようとするが、サルが追ってきた。絶体絶命と思われたとき、サラの頭の中に女性の声が響き、何者かが見えない力で扉を開き、逃げ道を作った。

博物館を出たサラは警察に通報する。エンゾ・マルキ警視は、サラの訴えをまともに受け止める気にはならなかったが、容疑者としてサラを尾行するように部下に命じた。 マイケルは、前妻との間に設けた幼い息子ポールと暮らしていた。マイケルがブルスカを訪ねると、ブルスカは意識不明状態に陥っていた。ひつぎを発掘したあとのブルスカは、人が変わってしまい、意味の無いことを口走っていた。黒魔術を行う三母神の一人マーテル・ラクリマルムが目覚め、世界を崩壊に導くというのだ。箱の中身はマーテル・ラクリマルムの力を強める働きをするものだという。しかし、それらの実物はジゼル殺害事件の後、何者かに持ち去られていた。 伝説によると約 200 年前にオスカル・デラバレーが生きていた時代にも、終末的な現象が多発し、人々が恐怖におののき、死んでいった。その時の終末的な恐怖がまた再現されるのだという。実際、ローマにはその兆しが現れており、人々が狂い出していた。一方、世界中からローマに魔女が集結し始めていた。

そんななか、マイケルの息子ポールがさらわれた。息子のベッドの枕元には奇妙なシンボルが書かれていた。それを見たサラは、箱に刻まれていた文字と同じだと気付く。取り乱したマイケルに、サラは急いで警察に捜査を依頼しようと勧めるが、マイケルは、誘拐は魔女の仕業であり、警察に行っても狂人扱いされると主張した。息子を取り戻すためには、オカルトの権威として有名なヨハネス神父に相談に行くしかないと言って家を出た。  ローマに残ったサラが、図書館でオカルトについて調べていると、マイケルから助けを求める電話がかかってくる。サラは、彼を追おうとテルミニ駅に向かい、そこで魔女の一団に遭遇する。黒装束のリーダー格で、日本語を話す魔女カテリーナがサラの気配に振り向く。カテリーナの下僕シモーネを振り切ったサラは、本屋に逃げ込む。エンゾ率いる捜査官たちもまた、サラを追ってきていた。本屋の中でサラはエンゾに見つかりそうになるが、また頭の中に声が聞こえてきた。サラが意識を集中すると、不思議な力が働いて警察の目から姿を消すことができた。電車に乗り込んだサラを捜査官とカテリーナが追う。カテリーナは捜査官を殺害、トイレに隠れていたサラを発見するが、サラに反撃され、頭を打ち砕かれる。  

テルミニ駅で刑事達をまいたサラは、ヨハネス神父を訪ねた。先に来ているはずのマイケルはおらず、サラの母親エリザの生徒だったというマルタと出会う。エリザが教えていたバレエ学校は、暗黒の三母神のひとりマーテル・サスペリオルムの住む館で、裏で黒魔術を行っていた。対抗する白魔術師だった母は、マーテル・サスペリオルムと闘って破れ、殺された。父もまた殺されていた。両親の死因は交通事故と聞かされていたサラは意外な事実を知りショックを受ける。 そこに興奮気味のヨハネス神父が現れる。ヨハネスはドイツ時代に懇意にしていたエリザの娘サラに会えた事を喜んだ。そして、三母神について語り出した。三姉妹として生まれた彼女たちは、母といっても生命を生み育てない。フライブルグにマーテル・サスピリオルム、ニューヨークにマーテル・テネブラルムが住んでいたが、かなり前に死んだ。マーテル・サスペリオルムはアメリカから来たバレリーナ、スージー・バニオンによって倒されたが、エリザはその前に殺されていたのだった。

三母神の中で唯一生き残ったマーテル・ラクリマルムは最も若くて美しく、最も恐ろしい。その魔女がいまや力を強め、ローマを崩壊へと導いている。その影響により、あるものは殺し合い、あるものは狂気に陥る。事実、ヨハネスの教会には、悪魔に取り付かれた人々が続々と運び込まれてきていた。 世話役のバレリアが魔物に取り付かれ、自分の娘をキッチンで惨殺し、ヨハネスにも襲い掛かってきた。バレリアはヨハネスを殺した後、自害した。サラとマルタは惨劇の現場から逃げ出す。マルタの車で二人はローマに戻る。家に帰ろうとしたサラだったが、何者かがアパートに侵入していた。サラはマルタの家に駆けつけ、助けを求めた。 マルタの家には、彼女の若い同性の恋人エルガがいた。マルタはサラに一晩部屋を貸すことにした。マルタは呪文を唱え、暗がりにファンデーションの粉を吹きつけて、そこに幽霊を映し出して見せた。サラも同じようにしてみると、エリザの姿が現れた。まぎれもなく駅で助けてくれた母だった。

その夜、マルタとエルガは激しく愛し合う。一方、サラは魔物に襲われる悪夢にうなされた。廊下を見ると、博物館で追ってきたあのサルがいた。サラは急いでマルタの家を逃げ出す。サラは家の前の公衆電話からマルタに電話をかけるが、エルガとマルタは魔女の下僕により、虐殺されてしまう。逃げるサラは、行方不明になっていたマイケルと再会する。サラがマイケルの襟元から血が流れていることに気付くと、マイケルの表情ががらりと変わった。狂気にかられたマイケルはサラに襲い掛かる。サラはマイケルの体に火をつけて逃げる。追ってくるマイケルに霊体のエリザが飛び掛かり、サラを助ける。だが、エリザはマイケルとともに、炎に包まれながら消えていった。 サラはマルタに紹介してもらう約束だった錬金術研究の大家、グリエルモを訪ねる。彼は三母神のために家を建てたという建築家ヴァレリが建てた家に住んでいた。サラが連続殺人の容疑者だとニュースで知っていたグリエルモは、助手の青年とともにしびれ薬を吹き付けて彼女の動きを封じたが、サラが殺人犯でないことがわかると、グリエルモはサラのしびれを解いた。グリエルモの家でサラはヴァレリの残した本を読む。現在の状況から逃れるためにはマーテル・サスピリオルムと闘って勝つしかない。そうしなければ、自分だけでなく、ローマが崩壊し、やがては世界が破滅してしまう。そのためには、ローマにあるマーテル・サスピリオルムの隠れ家を見つける必要がある。

グリエルモの家をあとにしたサラは、夜のローマをタクシーで街を流していた。街はいたるところで争いがおこり、荒廃の度を増していた。そんななか、以前テルミニ駅であった魔女の集団を見つけた。サラはタクシーを降り、一団を追うと、廃虚と化した館にたどりついた。その館こそ、マーテル・ラクリマルムのすみかだった。  サラは館に足を踏み入れる。物陰に隠れていたエンゾが引き寄せた。館の中には、銃を持った魔女の下僕がいて、サラを探し回っていた。サラとエンゾは、謎のシンボルが描かれた壁の柱を見つける。壁の向こうに秘密の通路を発見したふたりは、通路の奥に進むが、エンゾは下僕たちに捕まってしまう。

一方、ハンガリー語を話すふたりの魔女から逃れるため、姿を隠す術を使って体力を消耗したサラは、館の中にあるカタコンベをさまよう。そこではおぞましい儀式が繰り広げられていた。地下の大広間に出たサラは、サルに見つかってしまい、魔女たちの足元に倒れこむ。エンゾも岩肌につるされてしまう。  マーテル・ラクリマルムが中央に立ち、緋色の衣をまとっている。「 3000 年この時を待っていた。ついに私達の時代が来る」。マーテル・ラクリマルムが誇らしげに拳を振り上げると、魔女たちの熱狂は頂点に達した。サラは力を振り絞り、近くにあったやりをつかむと、マーテル・ラクリマルムの緋色の衣を剥いで、火にくべた。衣は燃え上がる。呪物を失ったことで、マーテル・ラクリマルムは突然うろたえはじめた。地震が起こり、魔女たちは逃げ惑い、崩落した壁に押しつぶされて死んでいく。マーテル・ラクリマルムも崩れ落ちてきた尖塔の先端に腹部を刺し貫かれ、息絶える。

 広間を後にし、サラはカタコンベから地上への出口を求めてさまよう。エンゾも修羅場からなんとか逃れてきた。地震で地割れした場所から地表に出ると、地上は静まり返り、平穏な夜明けを迎えていた。ふたりは大笑いし、お互いの無事を喜びあうのだった。

魔女三部作

 魔法使いのサマンサが主人公のコメディドラマ『奥さまは魔女』やアニメの魔法少女ものに慣れ親しんできた日本人にとって、魔女は決して恐ろしい存在ではない。むしろ親しむべきキャラクターなのではないだろうか。
  だが、魔女狩りや魔女裁判といった暗い歴史のあるヨーロッパにおいては事情が異なる。グリム童話にも残酷で怖い魔女がたくさん登場する。イタリアでは、魔女はしばしば恐怖映画の題材として使用されてきた。
ロシアの文豪ゴーゴリの短篇『ヴィイ』に材を取ったマリオ・バーヴァ監督の『血ぬられた墓標』(61)では、魔女として火あぶりの刑に処せられた王女が復活して自分の子孫にあたる若い娘に宿って恨みを晴らそうとする。トニーノ・チェルヴィ監督の『火の森』(70)は、幻想的な森の中にある館に迷い込んだレイモンド・ラヴロック演じる旅の青年が三人の魔女に誘惑される物語だ。魔女は男性を魅了するが、一皮むけば恐ろしい本性を表す。
  アメリカを舞台にして、魔女を扱ったイタリアン・ホラーの小品も多く、例えば、リンダ・ブレアが主演した『エクソシストの謎』(88)では、魔女に呪われた屋敷に閉じこめられた一家の恐怖が描かれ、『バトル・ヘルハウス』(90)には魔女の集団に襲われる神父が登場する。バカンスのためにフロリダにある古い館に集まった若者たちの恐怖を描いた『ウィッチ・ストーリー』(89・未)も魔女を題材としている。

アルジェントの「魔女三部作」

 このように、魔女をテーマにしたイタリアン・ホラーは時おり作られているが、数ある魔女もののホラー映画の中で、最も有名なのは、ダリオ・アルジェント監督の魔女三部作であるといっても差し支えないだろう。
  この魔女三部作の骨格となったのは、英国ロマン派のトマス・ド・クインシーの自伝的告白文学「深き淵よりの嘆息」(代表作「阿片常用者の告白」の続篇に当たる)のなかの一章「レヴァナとわれらの悲しみの貴婦人」に登場する三姉妹である。アルジェントの魔女三部作は、フライブルグに住む次女のマーテル・サスピリオルムを描いた『サスペリア』(77)、ニューヨークに住む一番年下で最も残酷なマーテル・テネブラルムを描いた『インフェルノ』(80)、そして、ローマに住む最年長で最も美しいマーテル・ラクリマルムにまつわる恐怖を描いた『サスペリア・テルザ/最後の魔女』(07)で構成される壮大なトリロジーだ。
  サスペンスにホラーの要素を巧みに取り入れた『サスペリアPART2』(75)がイタリアで大ヒットした後、次回作の方向性に悩んでいたアルジェントは、この作品で出会い、公私を共にするパートナーとなった女優ダリア・ニコロディからのアドバイスもあり、サスペンス映画からオカルトホラーへ進出した。もともとオカルトや精神世界に対する知識が豊富だったニコロディはド・クインシーの本を何冊か読んでおり、アルジェントに彼の著作を読むように薦めた。
  ニコロディとの出会いがなければ、アルジェントが魔女ものの連作を作ることはなかっただろう。『サスペリア』はダリオ・アルジェントとダリア・ニコロディのコラボレーションが最大限に発揮された作品である。ヒッチコックばりのサスペンスを得意としていたアルジェントにとって、魔女というオカルトの世界に入り込むのはかなりの冒険とも思えるが、アルジェント作品には女性の殺人鬼が描かれることが非常に多く、魔女というテーマ設定にたどり着いたのはむしろ自然なことだったのかもしれない。
  魔女をテーマにした作品を撮るために、アルジェントとニコロディのコンビは徹底的な調査を試みた。映画の構想を固めるために、ヨーロッパ各地に出かけ、黒魔術についての資料の収集をするといった念の入れようだった。魔女や魔法の研究のため、本物の魔女に会ってインタビューをするなど、綿密なリサーチの成果が『サスペリア』の脚本に盛り込まれた。

グリム童話の実写化「インフェルノ」

 『サスペリア』の成功の後、アルジェントは次回作の脚本で悩み、なかなか脚本が書けなかった。苦悩するアルジェントにヒントを与えたのはやはりダリア・ニコロディだった。ニコロディはマーテル・テネブラルムのストーリーをアルジェントに示し、ここで初めて魔女三部作という発想が生まれた。
  『インフェルノ』は詩人の姉ローズと音楽大学の学生である弟マークが主人公だが、これはグリム童話のヘンゼルとグレーテルの変形である。ヘンゼルとグレーテルでは、母親に森に捨てられた兄妹が道に迷った末、魔女に捕らえられるが、逆に魔女をかまどで焼き殺し、宝物を持って家に帰るという物語が語られている。『インフェルノ』では兄妹が姉弟に、お菓子の家が魔女の館に置き換えられている。魔女もかまどではなく、館の炎上によって焼き殺される。このように、『インフェルノ』は一種の童謡として見るべき作品なのである。本来のグリム童話には残酷で恐ろしいストーリーが満ち溢れている。『インフェルノ』はダリオ・アルジェント流の解釈によるグリム童話の実写化といえるのかもしれない。『インフェルノ』は一見すると何の脈絡もなく次々と殺人が行われていくように思えるため、論理性に欠けると批判されることもある。だが、アルジェントは魔女の邪悪な力によって人々の精神が支配されていくさまを暗示的に描いている。だからこそ、『インフェルノ』の登場人物は尋常ではない行動を取るのである。
  『インフェルノ』はアルジェントにとって、米国進出を目論んだ作品でもあった。だが、米国資本が入っていたにも関わらず、数々の理由により『インフェルノ』は米国ではお蔵入りとなった。こうした背景もあり、『インフェルノ』の後、アルジェントは得意のサスペンス映画の世界に戻り、二十六年間に渡って魔女三部作の三作目を作ることはなかった。多数の評論家はアルジェントにインタビューするたびに「魔女ものの三作目は作らないのですか?」という質問を繰り返した。これに対して、アルジェントはいつも答えをはぐらかしてきた。

30年のときを経て遂に完結!

 そのためなのか、ルイジ・コッツィ脚本・監督による『デモンズ6/最終戦争』(90・未)というダリオ・アルジェントの魔女もののパロディともいえる作品も作られている。トマス・ド・クインシーの「深き淵よりの嘆息」にはレヴァナというローマの女神が登場するが、この映画にもレヴァナという魔女が出てくる。脚本にはダリア・ニコロディも協力したが、出来上がった映画は魔女ものの三作目と名乗るには程遠いものである。魔女はひたすら汚く描かれており、コッツイ監督自身が「三人の魔女の物語は、この映画の素材に用いただけだ」と語り、アルジェント作品と関連付けされたり、比較されたりするのを避けるようにしているのもうなずける。
アルジェントは何が何でも三部作を完成させようとはしなかったし、もう放っておきたいとも思っていた。検閲などの問題から、純粋なホラーというものに少し嫌気がさしていたというのも事実である。だからアルジェントは魔女ものを封印し、サスペンスを取り続けた。
  だが、2006年に入り、アルジェントはついに魔女三部作の完結編『サスペリア・テルザ/最後の魔女』の製作に乗り出した。アメリカで『愛しのジェニファー』(05)や『愛と欲望の毛皮』(06)といったテレビ向けの短編ホラーを撮ったことで、アルジェント自身、ホラーに対する自信を取り戻したのである。この作品ではローマという都市全体が魔女の力によって支配されていくさまが明確に描かれている。自分の赤ちゃんを橋の上から川に投げ捨てる女、誰かに支配されているかのように他人の自動車を意味なくたたき壊す男。マーテル・ラクリマルムにまつわる恐怖を過激なスプラッター描写で表現したこの作品は2007年10月末にイタリアで公開され、およそ30年ぶりに壮大な魔女三部作が遂に完結した。
  ただ、アルジェントは言う。「ただ、これが終わりとは限らない。(以降の発言は省略)」と。 

ダリオ・アルジェント単独インタビュー(一部不掲載)

『サスペリア・テルザ/最後の魔女』がイタリアで公開された直後の2007年11月6日の午後。ローマの郊外の閑静な地域にあるアルジェントの自宅のベルを鳴らした。(聞き手=矢澤利弘) 諸般の事情によりウェブサイト上では一部、不掲載とさせていただいております。インタビュー全文は管理人稿の出版物をご参照ください。
             
――今回のインタビューは、『サスペリア』、『インフェルノ』に続く、魔女三部作の最終章『サスペリア・テルザ/最後の魔女』を中心に行われるものですが、パート2に当たる『インフェルノ』とパート3に当たる今回の作品との間には、実に27年もの隔たりがあります。多くのファンが魔女三部作の完結編を待ち望んでいました。三部作を完成させた今、どのような心境なのでしょうか。まず、魔女三部作をなぜ、このタイミングで完成させようと思ったのかについてお聞きしたいと思います。
「まさに、長年の友達がいなくなってしまったような気持ちだ。だが、(以降の発言は省略)
なぜ今、三作目を撮ろうと思ったか。自分は『サスペリア』と『インフェルノ』の後に、多くのジャッロを撮ってきた。だが、突然ある日、第三作目の構想が頭に浮かんできたので、魔女をテーマにした作品を作ろうと思った。(以降の発言は省略)

――確かに、あなたの映画は純粋なホラーというよりも犯人捜しを主軸とするサスペンスのカテゴリーに属する作品が大半で、超自然的な世界を描いた作品はむしろ例外的です。あなたがホラーというジャンルから離れていたのはどのような理由があったのでしょうか。
「ホラー映画に少し嫌気がさしていたという理由もある。ホラーにはカットが付きものだ。配給時における検閲の問題やテレビ放映時の過激なシーンのカットを気にして、投資家や配給業者たちが、色々と注文を付けてきたり、細かい問い合わせをしてきたりすることに気が滅入っていた。彼らには(以降の発言は省略)。」

――超自然的な世界を描いた作品といえば、お父さんでプロデューサーのサルバトーレ・アルジェントとあなたが一緒に仕事をしていた頃の映画のタッチを思い出しますね。
「父で思い出したが、今回の映画を作ろうと考えたきっかけの一つにはこんな体験がある。『ドゥー・ユー・ライク・ヒッチコック?』の脚本を書くため、ローマ近郊にあるフレジェネ海岸の一室にこもっていた時だった。静かな部屋で脚本の執筆に夢中になっていると、突然電話の着信音が鳴り響いた。(以降の発言は省略)

――『サスペリア・テルザ/最後の魔女』の脚本は、あなたの映画の常連脚本家フランコ・フェリーニが参加しておらず、その代わり、トビー・フーパー監督の『ツールボックス・マーダー』を手掛けたアメリカ人の脚本家コンビ、ジェイス・アンダーソンとアダム・ギーラッシュが参加しています。脚本はどのようにして生まれたのでしょうか。彼らとのコラボレーションはうまくいきましたか。
「実は今回の作品の企画が持ち上がる前には、彼らのことは全く知らなかった。私がアメリカで仕事をしていたときに、(以降の発言は省略)

――『サスペリア』と『インフェルノ』は人工的な色彩設計が印象的な作品でした。テクニカラーの三原色を調整したり、まるで舞台のような色彩の照明を使用したりすることによってファンタジックな世界を表現していました。それに比較して『La Terza Madre』の色彩は非常に現実的です。今回の映画ではどのような意図で映画の色彩設計を行ったのでしょうか。
「前の二作はファンタジー映画だったから、幻想的な色彩を使った。『サスペリア』は金、赤、青といった色彩を使い、『インフェルノ』は少し暗い感じの色を使った。だが『サスペリア・テルザ/最後の魔女』では(以降の発言は省略)

――あなたの映画では、今まで有名な場所がロケ地として使われてきませんでした。ローマを舞台にした作品でも、有名な観光地がスクリーン上に登場することは少なかったように思います。それに対して、『La Terza Madre』では、テルミニ駅やサンタンジェロ城、コロッセオといった有名な観光地が描かれています。『サスペリア』や『インフェルノ』では魔女の住む館が物語の中心にありましたが、『サスペリア・テルザ/最後の魔女』は建物よりもローマという町全体の恐怖を描いています。これはなぜでしょうか。
「私が表現したかったのは、悪が発生することによって大都市が発狂する可能性があるということだ。これは象徴的な意味ではなく、(以降の発言は省略)

――『サスペリア・テルザ/最後の魔女』の館は実在するのですか、それともセットですか。また、『サスペリア』や『インフェルノ』ではどうだったのでしょうか。
「あの館はトリノに実在する。『サスペリア』の館も実在するが、(以降の発言は省略)

――次にキャスティングについてお聞きしたいと思います。まず目をひくのは、主人公であなたの娘のアーシア・アルジェントと、彼女の母親で、あなたと長年のパートナーだったダリア・ニコロディが映画でもアーシアの母親という役で出演しています。これは何かを狙ったものなのでしょうか。
「二人を親子役でキャスティングした理由は(以降の発言は省略)

――三人の魔女のなかで最も美しいという魔女のマーテル・ラクリマルムですが、彼女の役のモラン・アティアスはどうやって選んだのですか。『インフェルノ』では、アニア・ピエロニがマーテル・ラクリマルムを演じていましたね。
「まず、アニア・ピエロニは、『インフェルノ』以降はあまり映画にはでていない。『シャドー』で小さな配役で出ているだけだ。彼女にはオファーしなかった。マーテル・ラクリマルム役を選ぶのは、非常に難しかったよ。彼女は、ものすごく美しい反面、非常に残酷な魔女だ。そのため、(以降の発言は省略)

――『サスペリア・テルザ/最後の魔女』には、モラン・アティアスを始め、女性のヌードがたくさん出てきますが、あなたの過去の作品では女性の裸のシーンはそんなに多くなかったように思います。ヌードに対する考え方の変化があったのでしょうか。
「私は最近アメリカで強力なヌードの作品を作った。以前にはポルノチックな映像は撮らなかったが、実際、一本作ってみると自分の内部の奥深さを感じた。そこで、(以降の発言は省略)

――魔女の一人としてカテリーナという日本語を話す魔女が登場します。日本人の市川純さんをキャスティングしたのはなぜですか。
「魔女というのは世界各国にいる。ロシア語やフランス語を話す魔女もいる。そうした流れで、自然に日本人で日本語を話す魔女を描いた。彼女は(以降の発言は省略)

――あなたは自分の見た悪夢をよく映画に取り入れることがあると聞いています。この映画では悪夢に影響を受けたシーンはあるのですか。
「たぶんあるだろう。でも自分の頭の中にあった悪夢を(以降の発言は省略)

――『オペラ座の怪人』以降、久しぶりにアーシア・アルジェントがあなたの映画で主人公を演じています。最初からキャスティングには彼女を考えていたのですか。
「脚本を書く前には、彼女を想定していなかったが、実際に脚本を書いている途中で(以降の発言は省略)

――アーシア・アルジェントも『スカーレット・ディーバ』では監督をしたり、脚本を書いたりしていますね。今回の作品に対しては、彼女も意見を言ったりしたのですか。アーシアもここ数年で成長したと思いますが、以前と比べて変わったと思えることはありますか。
「彼女は映画を作ったことによって映画監督の立場も理解できるようになったと思う。今回の作品では二人で一緒にいろいろと(以降の発言は省略)

――アーシア・アルジェントと刑事が笑いあうシーンで映画が終わりますが、どのように解釈すればよいのでしょうか。
「最後に笑うシーンは映画を見た人の判断に任せる。もしかしたら善が勝ったということでもあり、悪がいなくなったということでもある。『サスペリア』も主人公が微笑むシーンで映画が終わるが、(以降の発言は省略)

――音楽について、この映画ではあなたのいつもの作品のように電子的な音ではなく、クラシカルな曲が使われています。これはどのような効果を狙ったものなのでしょうか。
「音楽は『インフェルノ』のような古典的なものにしたかった。ソプラノやオーケストラなどが使われている。ローマの町全体が(以降の発言は省略)

――映画のオープニングは非常にスリリングですね。
「冒頭の15分間は非常に気に入っている。棺桶を開けてしまったコラリーナが殺されるシーンは(以降の発言は省略)

――黒皮の手袋をはめた殺人者の手をあなたが自ら演じるのがあなたの映画のトレードマークの一つとなっています。今回はやっていないのですか。
「今回も(以降の発言は省略)

クラウディオ・シモネッティ単独インタビュー

2007年11月7日午後2時。クラウディオ・シモネッティはさっそうと待ち合わせの場所に現れた。

――『サスペリア・テルザ/最後の魔女』は典型的な映画音楽になっていますね。ボーカルやコーラスがふんだんに取り入れられていますが、どのような意図があったのでしょうか。また、新しい楽器は使いましたか。
「私は音楽大学(=サンタ・チェチリア音楽院)を出ているので、本来はクラシックなオーケストラを使ったような音楽が基盤にある。自分の基礎にあるような曲を作ろうという意向で作った。コーラスが(以降の発言は省略)

――参考にした曲やインスピレーションを受けた曲は何かありますか。
「特別にはない。カール・オルフやジェリー・ゴールドスミスの『オーメン』などが(以降の発言は省略)

――映画『サスペリア・テルザ/最後の魔女』の感想はいかがでしたか。曲作りに際してアルジェントからの注文はありましたか。
「最近のアルジェント作品のなかでの大傑作ではないだろうか。音楽もマッチしている。四月末に公開予定だったが、映画祭に出品する関係で公開が遅くなった。曲作りに際してアルジェントからの(以降の発言は省略)

――前作の『デス・サイト』は打ち込みの曲で、今回の『サスペリア・テルザ/最後の魔女』とはかなり異なった曲調ですね。
「今回の映画はベースにクラシカルなものがある。『デス・サイト』はコンピューターの曲で、今回とは全く違う。当時はアルジェント監督が(以降の発言は省略)

――曲を作り始めたのはいつからですか。
「いつものように、映画が(以降の発言は省略)

――作曲のスタイルはいつもどのようにされていらっしゃるのでしょうか。
「スタジオでいろいろな楽器に囲まれて(以降の発言は省略)

――どのシーンに付けた曲が気に入っていますか。
「一番初めのシーンに付けられた曲が一番好きだ。他には(以降の発言は省略)

――『愛しのジェニファー』や『愛と欲望の毛皮』などのアメリカのTV映画の音楽も担当していますね。
「これらもオーケストラを使っている。アメリカ作品の音楽を担当したといっても、(以降の発言は省略)

――ダリオ・アルジェント作品とその他の映画監督の作品との違いはどんなところでしょうか。
「アルジェントは自分の好きなようにやらせてくれる。他の監督とも仕事をしたが、(以降の発言は省略)

――普段はどのような曲を聴きますか。
「すべて聞きます。できるだけ(以降の発言は省略)

――今やっている仕事はどのようなものでしょうか。また、これからやってみたいことはありますか。
「アメリカのスリラー映画の音楽を作っている。大学で七人が殺されたという実話を基にしたホラー映画で、(以降の発言は省略)

――他のゴブリンのメンバーが集まって、CDを出しましたが、どう思われますか。ゴブリンが再度結成されることはないのでしょうか。
「彼らのアルバムには、確かに(以降の発言は省略)
 
――ソロの作品の中で特に思い入れのある曲はありますか。
「1970年代のロックやダンスミュージックは好きだ。今は(以降の発言は省略)

――日本人にあなたの曲が人気のある理由はわかりますか。
「自分では(以降の発言は省略)

――『プロフォンド・ロッソ』のミュージカルが上演されていますね。
「映画と全く異なり、踊ったり、歌ったりするミュージカルだ。オリジナルの作曲はしたが公演には参加していない。劇の音楽用で映画とは全く違う。このミュージカルは(以降の発言は省略)

市川純インタビュー

市川純さんとは2007年11月7日午後5時にローマのテルミニ駅で待ち合わせをし、近くの市川さんの自宅でインタビューを行った。市川さんは映画の怖い魔女のイメージとはかなり異なる可憐な女優だった。

――『サスペリア・テルザ/最後の魔女』に出演したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
「魔女はイタリア人を想定していたが、私に会ってから日本人にしたら面白いと思ったと聞きました。そのとき「少しやせられないか」と言われたので、2週間で5キロ減量しました。プロダクションの人が(以降の発言は省略)

――何か印象に残るエピソードはありますか。
「金歯を歯医者で作ってもらったのが面白かったです。あと、自分が殺されるシーンを(以降の発言は省略)

――アーシア・アルジェントについてはどう思われましたか。
「吹き替えのせいかもしれませんが、アーシアは女優としてはリアルな感じがしませんでした。最後のシーンもよく分からなかった。映画としては、(以降の発言は省略)

――他のダリオ・アルジェントの作品についてはどう思いますか。
「『サスペリア2』はディテールが細かい。『サスペリア』は色が好きです。『サスペリア』は自宅で作っているような色だと思いました。それに対し、『サスペリア・テルザ/最後の魔女』には(以降の発言は省略)


   
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