映画の美しいフォームを作る 手塚 日本の印象はいかがですか。 コンプレックスこそ自分自身だ 手塚 映画と音楽以外に、なにか趣味にしていることはありますか。いつも映画をみていると生物、たとえば『フェノミナ』でも昆虫やチンパンジーが出てくるわけですけれど、そういうものに興味があって調べたりするんでしょうか。
ダリオ・アルジェント本人と対面するまで、ぼくはこの人は変質者のような人だと想い込んでいたのです。作家個人と映画が同じではないことはムカシから承知しておりますが、ことこの人の場合はたまにみかける写真のお顔を拝見しても、絶対ちょっとオカシイ人に違いない、そう確信さえしていたのです。しかし、現実に、眼の前に現れたアルジェントは、少年のように純粋な眼を好奇心でいっぱいに満たした、とても陽気で人なつっこいイタリアン・ボーイだったのです。おそらく、彼ほど映画を純真に愛せる映画作家は世界にそう何人もいないでしょう。彼にとってもっとも重要なことは、観客に悲鳴を何回あげさせるかということではなく、いかに映画を楽しい存在にするかということなのです。血と刃物に彩られたアルジェントの映画には、どこかいつも際立ったナンセンスがちりばめられています。ストーリーは崩れ、つじつまは合わず、御都合主義さえもシッポを巻いて逃げだしてゆくような、シュールな映画。ぼくはそこに、きわめて自我の強いアーティスティックな感性を感じとっているのです。
アルジェント 日本の人たちがヨーロッパやイタリアに驚くことが多いように、イタリア人やヨーロッパ人も日本のことをあまりよく知りませんから、驚くことが多いですね。旅をするということはとても大切なことだと思います。考えや技術的なイマジネーションを交換したりすると、人間はどんどん成長しますから。
手塚 いつもアルジェントさんの作品を拝見しますと、とても国際的な感じがするんです。つまり、アルジェントさんはイタリア人であるにもかかわらず、アメリカやイギリスの映画に近いニュアンスを持った映画を作られているように感じます。
アルジェント アメリカやヨーロッパで撮影をしていますが、アメリカの技術は日本に比べてだいぶ遅れています。日本は彼らにとってサイエンス・フィクションの世界です。高品位テレビとか、ひじょうに画期的なことだと思います。
手塚 残念ながら、日本では技術者たちはいい機械を作るんですが、それを使いこなすアーティストがあまりいなくて…。
アルジェント ヨーロッパ人というのはうまいレーサーだけれど、いい車がないようなものですから、日本人といっしょに仕事をすればきっといい結果が得られると思います。そうすれば交流もできるだろうし、すばらしいでしょうね。
手塚 たとえば日本で映画を撮ってみる、という気はありませんか。
アルジェント もちろん撮ってみたいと思っています。ただ撮影したいだけではなく、日本の最新技術を使って映画を作ってみたいですね。それで私の映画は、より完全に近づくことになると思います。
手塚 撮影はいつもはどちらでされるのですか。
アルジェント ふだんはローマの撮影所ですが、ロケだとどこにでもでかけていきます。
手塚 たしか『インフェルノ』はアメリカで作られたんですね。
アルジェント そう、二十世紀FOXです。
手塚 撮影もアメリカですか。
アルジェント ニューヨークとロサンゼルスで撮影しました。
手塚 幸運なことにアルジェントさんの映画はほぼ完全に日本で封切られているんですね。『歓びの毒牙』『わたしは且撃者』『四四の蝿』『サスペリア2』それから『サスペリア』ですね。『インフェルノ』『シャドー』、そして『フェノミナ』とぼくの印象ではどれも英語を使っていたように思うんですが、いつも英語で製作されているんですか。
アルジェント 配給のためには、英語で映画を撮るほうが有利なんです。そのほうが簡単だしふつうですね。
手塚 製作中、スタッフとの会話はイタリア語ですか。
アルジェント 俳優だけ英語で、あとはイタリア語です。
手塚 それはむずがしくありませんか。
アルジェント いいえ。俳優というのは木のように物質的なものですから。俳優は魂のない物質のようなものです(笑)。
手塚 ジェシカ・ハーパーのようなアメリカの女優も使っていますが、イタリアの女優とくらべてどうですか。
アルジェント アメリカの女優はとても美人で、演技もうまいと思います。また、アメリカにはいい演技の学校がありますが、イタリアにはそんな学校がないんです。アメリカでは小さいころからそうした学校に入って演技を勉強すると聞いています。残念ですがイタリアではそういうことはありません。私が映画を作るときに、俳優というのは一番最後に考えるものです。ほかのもののほうがだいじなんですよ。
手塚 では、映画をつくるときにまず最初になにを考えますか。
アルジェント フォームですね、形。それが一番最初です。そして構成、色彩、それから音楽、美しい顔(笑)。そういうものをだいじにしています。
手塚 ぼくはアルジェントさんの映画のフォームがとても好きで、とくに女性がみんな美しいので、すごくあこがれているんです、
アルジェント 小さいときから、女性がつねにまわりにいる環境だったんです。母が写真家だったので、ソフィア・ローレンとか有名な女優がつねに身のまわりにいました。 私が学校から帰って勉強していると、その前で母が化粧をした女の人といっしょに仕事をしてる、そういうのを何年たっても覚えています。だから私にとって化粧をした女性の顔というのは、こく自然なものです。女性についてはよく知っていると思うのですが、男性についてはそうでもありませんね(笑)。男優と仕事をするのは、なかなかむずかしいんです。顔が気に入らないとか、あまり美しくないとか(笑)。だから、私の映画に出てくるのはほとんど女性ばかりで、男性は少ないんじゃないでしょうか。
手塚 女性の恐怖にひきつった顔を撮るのがいつもおじょうずで、ほくはそれがすこく好きなんです。それもやはり、たくさんの女優の顔を見慣れていたから、自然に覚えたようなものでしようか。
アルジェント そうですね、まったく自然なことでした。女性をみて、その内面を知ることは、とてもやさしいことです。
手塚 子供のころは、やはり映画をたくさんみられていたんですか。
アルジェント 私にとって本当の学校というのは、劇場でした。
手塚 子供のころにみた映画の中で印象に残っているものは?
アルジェント とくにこれというのはなくて、なにしろたくさんみたものですから。いろんなジャンルにわたって、いっぱい。どの映画がとくによくてあとはだめだということではなくどれもみんな好きでした。かつて「カイエ・デュ・シネマ」にゴダールがそのことをとてもうまく説明していました。ゴダールはあらゆる映画が好きだというんです。それがなぜかというと、どんなにつまらないだろうと思われる映画でも、カメラが追っていくうちに、魔法の瞬間というものがあって、それが奇跡を生み出すのだというんですね。どんなにつまらない商業映画でも、十秒であろつと二十秒であろうと、そういう瞬間があります。それが映画のすばらしいところであり、映画の美だと思っています。
手塚 まったく同意見です。アルジェントさんは映画の研究家として評論などをお書きになっていたと思うんですが、そのあとに映画を作りはじめた動機というのは。
アルジェント 評論家だったときに、たくさんの監督や俳優にインタビューしたんですが、けっしてよい経験ではありませんでした。ひどい人たちで、このような人たちの手に映画があるなんて許せない(笑)。だから、私や私のようなフランスの若い評論家たちが、つぎつぎと自分で映画を撮りはじめたのはそういう汚れた手から映画を取り返そうという気持ちだったからでしょう。
手塚 なるほど。で、なぜスリラーを選ばれたんでしょうか。
アルジェント 偶然だと思います。
手塚 偶然?
アルジェント 最初の映画というのは、私が書いた脚本の四作めにあたるんですが、それがとても気に入ったので、偶然に自分で監督をやりはじめたんですよ。そして、監督をしているうちに、これが自分の職業であるというふうに感じました。
手塚 昔の古い怪奇映画など、ごらんになっていますか。
アルジェント たくさんみました。全部みているかもしれませんよ(笑)。それも何度も何度も。
手塚 いろんな過去の、とくにひじょうに古いクラシックな映画、たとえば『カリガリ博士』のような作品のニュアンスが、アルジェントさんの作品にあるように感じるんです。
アルジェント とくにドイツの表現主義には影響をうけてますね。とても好きな時代です。表現主義というのは問題の核心をつきますから。
手塚 それらはフォームがとても美しい映画だと思います。
アルジェント そう、美しいフォームを作るということは私の強迫観念のようなものです。夜中に目がさめるほど、そのことにこだわりつづけているんです。とりつかれているというか。
手塚 アルジェントさんの映画のなかのセットが、ある意味では表現主義的なので、ぼくは美しいと思ってるんですが、それは美術監督と相談して決めているんですか。
アルジェント もちろんそうです。この二十年間で、映画にかかわるそれぞれの人間の役割というものが、変わってきつつあると思います。いまは監督というものが、映画の中心だと。だから監督が同時に製作もやり、デザイナーもやり、作曲もし、そういう意味での中心になっています。演技というのは映画製作者の私の手にはありませんが、次の段階では演技のほうまで進出したいですね。というのは、映画は監督の個性を反映するものだからです。ここ数年前まではアメリカ映画にみられたように、監督は監督、脚本家は脚本家、デザイナーはデザイナー、プロデューサーはプロデューサーと、みんなで協力してやっているのが主だったんですが、いまはそういう時代は終わったと思いますよ。ですから、私は自分の映画の作曲もし、セットのデザインもし、色の調節もする。映画にかかわるすべてのことが、自分の責任になってくるんです。
手塚 『フェノミナ』ではプロデューサーも兼ねていますね。
アルジェント いまいったとおりで、自分の映画は全部自分でプロデュースするんです。
手塚 たしか、アメリカのジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』をお手伝いしたとききましたが。
アルジェント 脚本を書きましたし、作曲も全部ではないんですが、やっています。
手塚それはゴブリンの人たちといっしょにやったんですか。
アルジェント そうです。ゴブリンは私が作ったグループなんです。
手塚 そうだったんですか。
アルジェント 私は最初、音楽家になりたかったんです。十七歳まで音楽を勉強していました。
手塚 映画以外のゴブリンのレコードには参加しているんですか。
アルジェント いえ、していません。でも今年(85年)の11月には自分のアルバムが出ることになったのです。
手塚 それはダリオ・アルジェントという名で発売されるんですか。
アルジェントそうです。
手塚 それはとても楽しみですね。ぼくはゴブリンの音楽がとても好きなんです。メンバーが最初のころとだいぷ変わっていますけれども。
アルジェント ふたり変わりました。ミュージック・グループというのは世界中どこでもそうなんですが、人が変わっていくものなんですね。ずっと同じメンバーでやっていくのはどこかおかしいんじゃないかな。ローリング・ストーンズだって変わってるし、まあ、人が死んじゃったんですが(笑)ある日バーンって。ドアーズのジム・モリソンも死にましたね。ゴブリンは誰も死んだわけじゃありませんけどね(笑)。
手塚 どういう音楽を聴いてらしたんですか。
アルジェント ロックが大好きなんです。とくにハード・ロックがね。
手塚 それはヨーロッパのロックとか。
アルジェント イギリスとかドイツです。アイアンメイデンやモーターヘッドとか、オーストラリアのAC/DCとか。ドイツにアクセプトというグループがあるんですが、これを次にプロデュースする映画に使おうと思っています。ゴブリンも使います。(笑)。
手塚 『インフェルノ』ではたしかキース・エマーソンがやってましたね。
アルジェント キース・エマーソンは友だちなんですよ。エマーソン.レイク&パーマーから離れてひとりだけでも、使いたいと思っています。
手塚 ゴブリンのサントラ盤のメンバーのなかには、アルジェントさんの名前がないんですが、それは意識してはずしたんですか。
アルジェント 私は楽器ができないので、メンバーじゃないんですよ。私は作曲家としてしかかかわってません。
アルジェント 動物はとても好きです。私は菜食主義で、お酒も飲まないし、食べることにあまり興味がないんです。だから、私の趣味は動物を食べないということですね(笑)。いま、文明や技術がこんなに発達しているのに、まだ動物を殺して食べるというのは信じられません。とてもばかばかしいことだと思います。
手塚 映画で虫を使う場合、女優さんはいやがりません?
アルジェント 『フェノミナ』ではジェニファー・コネリーが虫が好きでしたから、なかにはいやがる人もいますけどね。
手塚そういう場合には、どういうふうに演出なさるんですか。
アルジエントこういいます。「演れ(ゴーアヘッド)」(笑)。だけど、体の大きいごつい感じの男の人がハエをこわがったりするのはおかしいですね。ほとんどマンガの世界です。うちの助監督は蝶をたいへんこわがるんです。クモをこわいという人もたくさんいますね。でもクモなんてやさしいもんです。ヘビもきらいな人が多いですが、あんなにいいやつはいません。パイソンという大きなヘビを寝室で飼いたいんですが、家族全員に抵抗されたんです。私の書斎だったらいいというので飼っています。パイソンはとてもいい動物です。私は好きです。
手塚 『フェノミナ』ではチンパンジーがいい芝居をしていましたが、あれも監督が演技をつけるんですか。 アルジェント もちろんです。私が監督ですから。チンパンジーが一度逃げたんですよ。ジェニファーとけんかをして、かみついたんです。飼育係が頭をぶったら、どこか行ってしまったんです。そのとき、森のなかで撮影していたので、捜しだすのに三日かかりました。ヘリコプターも使って大さわぎでした。動物と仕事をするのは最初は違和感がありますが、二、三日するとおたがいにコミュニケイトできるようになってきます。どうしてかわかりませんが、こちらのいうことがわかるようになってきますね。『フェノミナ』で、マグレガー教授役のドナルド・プレザンスのたったひとつの悩みは、チンパンジーの演技がうますぎるこ
とでした。そのことがいつも頭にあって「映画をみる人がチンパンジーばかりみて、自分をみてくれないんじゃないか」って(笑)。
手塚 たしかにそうですね。『フェノミナ』のショットのなかにはハエの視点になってカメラが動<ところがあって、『サスペリア』でも鳩の眼になってカメラが動いていましたよね。そういう動物の視点になるショットというのはとても新しい試みだと思います。
アルジェント そうですね、昆虫の視点なんて新しいでしょうね。昆虫自身がどのように世界をみているかって、想像するのはひじょうにむずかしいでしょうし、『フェノミナ』では昆虫学者といっしょに仕事をしましたから、虫には世界がどういうふうにみえτいるかを説明してもらって撮りました。
手塚 頭のなかでイメージするのはやさしいんですが、それを実際に撮影するとなると、困難な場合が多いですね。
アルジェント ですから撮影の新しい技術というものが、私の人生においてとても重要な関心事になっているんです。私の幻想とか墨夢を再現するということはとても大変なことです。
手塚 映画ごとに新しい技術を導入しているようにみえますが。
アルジェント そのとおりです。
手塚 それによって製作費がどんどん多くなっていくということはありませんか。
アルジェント そうなんです。俳優を三人あわせたよりも特撮や特殊技術のほうが高価なので、悩んでいます。ですから日本の進んだ技術を使いたいんです。それがまたヨーロッパでは使えないのが残念ですね。
手塚 映画のときは、ストーリーを考えてから、撮影技術のアイディアを考えるんですか。
アルジェント 詩が生まれるときのように、技術がヒントになることもあります。『シャドー』のときは、ルマという名の高性能の撮影装置が、ひとつのインスピレーションのもとになりました。
手塚 それはどういうところですか。
アルジェント 家の屋根を通り越えて女の人の顔を映すところで、ルマでしか可能でなかったショットです。
手塚 それは『フェノミナ』のオープニングの、森のなかからずーっとカメラがあがって、森をみおろすところに似たようなところですね。
アルジェント いえ、ルマだとあんなに高くあがりません。あれはドイツの撮影スタッフが撮ったものです。
手塚 『インフェルノ』のときはライティングに色を使っていて、不気味な世界という感じでしたけど『フェノミナ』はわりとノーマルな色彩でしたね。それは意識して演出されたんですか。
アルジェント もちろん違うアイディアですから、意識しています。『インフェルノ』は童話みたいなもので、『フェノミナ』は幼いときの思い出の記念というか、自伝的なものを入れているんです。スイスという国があんな感じだったことをよくおぼえているし。空が灰色で緑があんな感じで。
手塚 『インフェルノ』はマリオ・バーバ監督が、お手伝いしているときいたんですが。
アルジェント マリオ・バーバには特殊効果をやってもらいました。彼の息子、ランベルト・バーバというんですが、彼の監督した作品を、私がプロデュースすることになっています(『デモンズ』)。
手塚 マリオ・バーバ監督は亡くなられましたけど、生前はかなり親交があったんですか。
アルジェント 友人でした。年の差はありましたが、とても親しくしてくれて、彼を父親のように尊敬していました。
手塚 おふたりの作品は全然違うんですが、女性の撮りかたに関しては、共通点があるように思います。
アルジェント インスピレーションが同じだったからではないでしょうか。また、ひじょうに極端なことが好きだという共通点もあります。
手塚 とてもこまかいことなんですが、たいへん気になっていることがひとつあるんです。それは『サスペリア』のオープニングの場面でジェシカ・ハーパーがタクシーに乗っていますよね。すると、雷が鳴って稲光が光るんです。その時にタクシーの運転手の背中あたりに、人の顔がガラスに反射して映るんですが、あれは演出されたものなんですか。
アルジェント もちろん意識してやりました。
手塚 そうだったんですか。あれは監督の顔じゃないのですか。
アルジェント いいえ、あれは悪魔のような顔で、私の顔じゃないです。
手塚 日本のマスコミは、幽霊の顔が映ってるといって、スキャンダルにしていたんですよ。
アルジェント あのシーンの前に、「ココシュカ」と書いた大きなポスターが映るんですがあれもひとつの鍵になっています。
手塚 それはどういう意味ですか。
アルジェント ココシュカはシュールレアリスムの画家なんです。それが、この映画の本質を理解するためのひとつの鍵になっています。はじまって一分もたたないうちに、ジェシカ・ハーパーが、「エッシャーに行きたい」といいます。でも「エッシャー」という場所はありません。それもオーストリアのシュールレアリスムの画家の名前なんです。バーで見知らぬ人といっしょにいるところがあるんですが、そこは実際にかつて、ヒットラーがナチのパーティーや集会をやったのと同じ場所、同じテーブルなんです。
手塚 それは全然気がつきませんでした。
アルジェント 誰もわかりませんでした。「ココシュカ」や「エッシャー」は全部、自分のためだけの密かな楽しみなんです。
手塚 映画をつくるたびに密かな楽しみを入れてるんですか。
アルジェント たくさんそういうものがあります。
手塚 『フェノミナ』でもそういうものがあれは特別に教えてほしいんですが、
アルジェント ジェニファーが「私は菜食主義なの」というところがありましたが、覚えてらっしゃいますか。あと彼女がべッドに横たわり、「私はクリスマスの日のことを思いだすわ」というシーンがありますが、あれも私の体験を再現したものです。人生にはいろいろなことが運命づけられています。さきほどもいったように『フェノミナ』はひじょうに自伝的要素の強い作品なのです。
手塚 あんな怖い校長先生がいたんですか。
アルジェント 私にとって、学校というのは家庭と同じで、ひじょうに悪い思い出のある監獄のようなところでした。『サスペリア』では先生が魔女だったでしょう。これは私がずっとこだわりつづけていることのひとつなんです。同じ妄想から生まれていることなんです。家族−−母親とか父親とかは子供にとってはみんな敵なんですね。子供は毎日毎日家族と戦っているようなものです。私が子供のときに、映画作家よりも音楽家になりたかったというのはそのへんからきているのかもしれませんね。のちに、自分に適しているのは映画だとわかって、映画監督になったわけですが。
手塚 アルジェントさんの映画ではよくせまい穴のなかをはってゆく場面がありますが、それもなにか子供のころの思い出があるんですか。
アルジェント その分析はフロイトにまかせたほうがいいかもしれません(笑)。自分はどこからきているのかよくわからないのですけど、穴とか、廊下とか、窓とか、階段とか、そういうところになぜか知らずに魅かれるのです。コンプレックスは取り除く努力などしないで、そのままにしておいたほうがいいと思います。そのコンプレックスは自分自身なのですからね。(1985年ウィングス8月号)
以上がダリオ・アルジェントと手塚真氏の対談である。このインタビューはサスペリアに幽霊が映っているという疑問が解決した、という点で重要なものといえる。また、アルジェントが俳優たちをあまりこころよく思っていないこと、映画に込められた「遊び」のいくつかも明らかとなった。学校や家族に対して疑問を持っていたこともよくわかる。学校が嫌いなアルジェントは実際に校舎の窓を叩き壊して回ったりはしなかったが、「サスペリア」で思う存分、学校をこなごなに壊している。恐い先生たちも壊滅状態だ。これって最高だと思いませんか。