投稿者 NT 日時 1998 年 2 月 13 日 21:10:52:
私も映画を見ながらへ理屈こねるのが好きな方なんですが、アルジェントの映画のいくつかはどーもへ理屈による定式化が難しいようで今だに曖昧模糊とした印象しか持てないのです。対称的に、アメリカ映画はわりあい親切というか分かりやすい造りになっているみたいで、たいていの映画は強引に一言で表現できてしまえそうな気がするわけです。例えば、二重人格者のモーテルの主人が女装して殺人を行う映画だとか、人皮マスクの怪人が電気ノコで襲ってくる映画だとか、生き返った死体の大群が人間をむさぼり食う映画だとか、具体的なイメージが実につけやすい。そんな単純なものでもなかろうというお叱りの声も聞こえてきそうなんですけど、まあ大体の印象を表しているんじゃないかなと思います。
そこで「サスぺリアPART2」を一言で表現してみますと、証拠を隠すために連続殺人を行う黒手袋をした犯人の話、ということにでもなるかと思いますが、これで全体がうまく表現できてるかとゆう事になると、この映画を高く評価している人の殆どはこんな説明では全然納得できないんじゃないでしょうか。というのも、「サスぺリアPART2」を見た後の実際の印象は連続殺人や犯人探しと言った本スジよりも、子供の歌やら変な自動人形やらビー玉やらの方が妙にナマナマしく残ってしまうからです。
それでその辺のところを個人的に色々考えているうちに、しまいにはその理由は映画の造りというか構造自体にあるんじゃないか、などという妙なことをついつい考えてしまうのです。そういうわけで「サスぺリアPART2」の構造面に着目して、かなり独断的に書いてしまいたいと思います。
ところで、「サスぺリアPART2」には実に沢山の恐怖映画的要素が盛り込まれています。その多さたるや半端ではなくて、
「謎解きミステリー」「残虐な殺人場面」「童歌」「霊視能力者」「アップで写した目」「バーでたたずむマネキンみたいな客」「消えた絵」「幽霊屋敷」「結露した壁に書かれた文字(< ヒッチコックの「バルカン超特急」かなんかでこういうのがあった)」「不気味な少女」「殺しを描いた絵」「不気味な人形」「殺される動物」「壁に塗り込められた死体」「夜の小学校」「鏡に映った顔」「エレベーター」「ノコ刃状のネックレス」「血の水たまり」・・・
といったぐあいで、ごもく炒め級の具だくさんと言えます。う〜〜ん、実に多面的。このうち2〜3個を使うだけでも映画が一つできてしまいそう。ここでかりに、このうちの本スジとは関係ない余戯的要素を全部取り除いてしまったとしたらどうなるでしょうか。たぶん、「サスぺリアPART2」はずいぶん平凡で退屈な映画となることでしょう。と言うよりも、「サスぺリアPART2」は「謎解きミステリー」なんてものより、実はこういったオマケ要素のほうを見せたいが為に造られた映画のようにも思えるのです。
これらの要素は各々でいちおう独立した効果を持っていて、元々は相互になんの関係もないバラバラな物であります。しかし不思議なことに、バラバラの要素がこれだけたくさん詰め込められているにもかかわらず、「サスぺリアPART2」がバラバラでまとまりのない映画かと言うとそうでもないわけです。バラバラのものを寄せ集めてできているのに、全体がバラバラとはならずきわどい所で求心力を保っている理由は何か。それはこれら個々のバラバラな要素が単独に機能しながらも、それぞれが何か目に見えない結合のようなもんで(< 中にはずいぶん強引なモノもあります)ネットワークみたいにつながっていて、全体としても組織的に機能しているからではなかろうか。
(やたらと長文なので以下その2につづく)