Also Known As: Demons (1985) (English title) |
1985 Color (Eastmancolor) |
監督:ランベルト・バーバ |
ウルバーノ・バルベリーニ Urbano Barberini |
公開:日本1986年4月26日(ニュー東宝シネマ1、新宿武蔵野館、ニューOS、南街文化ほか) キネマ旬報掲載:紹介942号、グラビア935号 日本における配収(1986年):3億5000万円、 1986年興行成績:東京地区(38位、124607人動員、興収1億7249万5000円)、京阪神地区(40位、87519人動員、興収1億1704万8000円) |
ベルリンの地下鉄駅でシェリルは、顔半分を金属でおおわれた奇怪な男にカードを手渡された。それは映画の試写状だった。彼女は友人のキャシーと一緒に出かけることにした。映画館は誰も聞いたことのないメトロポールという劇場だった。 多くの人々が入場してきたが、その中にジョージらもいた。黒人売春婦がロビーにあったマスクをいたずらしてかぶり、顔を傷つけた。映画の上映が始まった。ノストラダムスの墓があばかれ、その呪いで人が殺されるといった内容の映画だった。一方、客席では黒人売春婦が気持ち悪くなり、トイレに行った。友人が見に行くと彼女は気味悪く変身していて、襲いかかってきた。一人また一人と犠牲者が出て、スクリーンと同じように殺人が展開されていく。人々はパニック状態になって出口へ駆けつけた。 ところが、何者かによってドアはコンクリートで固められていて、出ることはできない。一方、パンク風の4人組が車に乗って麻薬を吸いつつ街を流していた。彼らは警官に追われメトロポールの裏側に逃げ込んだ。彼らが劇場の中へ入ると、そこでは人々がゾンビと化し、まだそうなっていない人々と戦っていた。そこへ突然ヘリコプターが墜落してくる。 ただふたり難を逃れたジョージとシェリルは屋上から外へ出た。町ではゾンビがうろついていた。ジープに乗った一家と出会い、ふたりはジープに同乗させてもらった。しかし、突然シェリルがゾンビ化する。すかさず同乗者がライフルで彼女を撃ち殺し、ジョージは彼女を投げ捨てる。ジープはそのままどこまでも走っていく。 |
『デモンズ』 デモンズはゾンビではなく、H.P.ラブクラフトのクトルゥー神話にインスパイアされて作られた。『デモンズ』の元々のアイデアはランベルト・バーバが考えたものだ。バーバは『暗闇の殺意』を撮影中、脚本家のダルダーノ・サセッティに映画ファンが映画に襲われるというアイデアを話したところ、サセッティは早速3ページのあらすじを書き上げた。撮影終了後、バーバとサセッティはアイデアを発展させたストーリーを共同で執筆し、『フェノミナ』を撮影中のアルジェントに企画を持ち込んだ。 当初の原案では3話のオムニバスだったが、アルジェントの参加後、1話のゾンビ風の物語にまとめられていった。2カ月で100ページ程度の初稿が完成、脚本には最終的にフランコ・フェリーニも参加し、84年の9月から10月かけて内容が検討された。当時の題名は『Demons' Head』だったが、最終的に『デモンズ』となった。脚本は5回ほど手直しされ、ストーリーはより単純明解なものになっていった。 『フェノミナ』がヒットしたため、『デモンズ』の製作資金を集めるのは容易だった。撮影開始は1985年の夏。撮影は5月から6月にかけて、約7週間行われた。ローマのデ・パオリス・スタジオの中に200メートルの映画館のセットを建てた。『デモンズ』のストーリーはほとんど映画館の中だけで進行するため、セットで映画館を作る必要があったからだ。ハマー・プロのホラーにオマージュを捧げるため、最初は映画館のある町はロンドンを想定していた。だが、『デモンズ』のストーリーはロンドンではしっくりと来ない。そこで最終的にドイツのベルリンが舞台に選ばれた。ベルリンはヨーロッパで最も暗い都市であり、重い過去を背負っている。撮影当時、ベルリンは壁に囲まれた都市であったことが、映画館が壁に囲まれるという『デモンズ』のストーリーにぴったりだった。 ランベルト・バーバは1日約20カットの撮影をこなした。また、恐怖を盛り上げるために、特殊メイクシーンだけを後でまとめて処理することはせず、ドラマの流れの中で同時に撮影した。バーバは出演者の迫真的な演技を引き出すために、撮影に入る前の10分間、役者たちに体操をさせた。特に、クライマックスで3人の主人公たちがデモンズと対決するシーンではマラソンをさせた。 『デモンズ』には『サスペリア2』で不動産管理人の娘を演じたニコレッタ・エルミが映画館のもぎり嬢の役で出演。ダリオ・アルジェントの娘であるフィオーレ・アルジェントもハンナの役を演じている。撮影現場ではニコレッタ・エルミが緊張しているフィオーレを励ますことも多かった。子役として子供の頃から映画界で活躍していたエルミは自分の幼少時代を思い出し、これで1つのサイクルが終わり、新しいサイクルが始まったと感じた。 エルミによれば、フィオーレは『デモンズ』の撮影現場で起こる事柄について敏感になっていたようだった。「フィオーレは必要以上に映画の撮影現場の構造を良く知っている。だから、ダリオが現場に現れなかったのは意図的なものではないだろうか。彼は撮影現場には1度か2度しか来なかったけど、それはフィオーレを緊張させないように気を使ったのだと思う。ダリオはそうしたことによく気が回るから」。エルミは『デモンズ』についてこう語っている。 |
アメリカ公開版はモノラル録音である。しかし、一部のサウンド・エフェクトが追加されている。例えば、『Demons』のタイトルが出るときには悪魔のうなり声が聞こえる。その他のバージョンでは、オリジナルのドルビー・ステレオ録音である。 |
各映画ガイドにおける作品紹介を比較する。短いコメント文でも、筆者の見解が分かれるのは興味深い。 ホラーの逆襲の紹介文 アルジェントは製作と脚本を手掛け、監督はランベルト・バーバに任せた作品。映画館の覆面試写に訪れた人々が次々にデモンズに変身し、映画館は惨劇の館と化す。続編「デモンズ2」(86年)では、デモンズはテレビを通じて人々を変身させる。デモンズはゾンビでなくラブクラフトのクトゥルフ神話にインスバイアされたとのこと。 ぴあシネマクラブの紹介文 「サスペリア」などで知られるイタリアのホラー作家、アルジェントが、製作・原案・脚本を手掛けた恐怖映画。ノストラダムスの予言''デモンズの祝祭が始まるとき、暗黒の底、アキロンの大王が目覚める''という謎のレプリカのもとに、''デモンズ劇場"なる映画館でノストラダムスにまつわる作品を見ていた観客たちが、映画さながらの恐怖を館内で味わっていくさまをスリリングに描く。 |
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