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LA SINDROME DI STENDHAL
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監督:ダリオ・アルジェント |
アンナ・マンニ捜査官:アーシア・アルジェント |
フィルムネガフォーマット:35mm 公開日:イタリア1996年1月26日、オランダ1996年4月、カナダ 1996年9月(トロント映画祭にて)、ノルウェー1996年11月19日、英国1997年2月(ビデオリリース)、ポルトガル1998年4月(ビデオリリース)、米国1999年5月18日(ビデオリリース)日本 1996年6月15日(新宿・シネマカリテにてレイトショー) 録音ドルビーデジタル キネマ旬報掲載:批評1195号、グラビア1194号 |
スタンダール・シンドロームのストーリーを生むきっかけとなったのは、イタリアの心理学者グラツィエラ・マゲリーニが発表した「LA SINDROME DI STENDHAL」である。同書は、「赤と黒」で著名なフランスの作家スタンダールが、1817年にフィレンツェの教会で美しいフレスコ画の前に立ったとき、そのあまりの崇高さ、すばらしさに触れたことによって興奮し、めまいに襲われ失神したことを伝えている。マゲリーニは同様の体験をした人間が数多くいることを確認し、この症状に「スタンダール症候群」と名付けた。アルジェントはここからヒントを得て、そこに自らの少年期の同様体験を重ね合わせ、物語を仕立て上げた。 当初は米国を舞台にして、ブリジット・フォンダ主演で撮る予定であったが、より芸術的な雰囲気を求めて、舞台をイタリアに変更、主演も『トラウマ/鮮血の叫び』に引き続きアーシア・アルジェントを起用した。 音楽はエンニオ・モリコーネに決まる前は、英国のバンド、マッシヴ・アタックが予定されていた。 |
スタンダール・シンドロームではアルジェントは撮影監督のジュゼッペ・ロトゥンノと仕事をした。ロトゥンノはステディーカムの使用を避けたがった。アルジェントが被写体を追ってカメラを動かしたいと主張すると、ロトゥンノは必ず、ステディーカムは使いたくないと嫌がったという。 |
アルジェントは撮影前に完璧なストーリーボードを用意する。ダリオ・アルジェントは撮影現場では何が必要かという本能的な感覚を持っているのだ。もし、自分のイメージの映像化が難しければ、それが可能になるまで何回もアイデアを練り直す。「映画はわたしの夢を現実化するものだからだ」とアルジェントは説明する。「全く形を変えずに自分の夢を視覚化しようと思っている。色彩やその他、いろいろの技術を使って夢を再現するのだ」。 『スタンダール・シンドローム』ではアンナが水中で巨大な魚とキスするシーンがある。「わたしが表現する対象物の意味するものは人によって解釈が異なるはずだ」とアルジェント。アルジェントのトレードマークの1つである水でさえ、それを恐がる人もいるし、魅力的に思う人もいるだろう。 |
アンナのフランス人の恋人マリーが美術館で殺された後、空港に自家用機で到着したマリーの母親(ベロニカ・ラザール)に自動車でやってきたアンナが泣きながら抱き合うシーン、ボクシングジムで鼻血を流すシーンの少し前、アンナがレイプ事件の関係者に電話をかけ、被害者の夫と話すシーン、が英語版からはカットされている。 |
各映画ガイドにおける作品紹介を比較する。短いコメント文でも、筆者の見解が分かれるのは興味深い。 ホラーの逆襲の紹介文 十九世紀に、文豪スタンダールがフレスコ画を前に悦惚状態となったという事実から、芸術に触れて精神に異変をきたす現象をイタリアの心理学者マゲリーニが「スタンダール・シンドローム」と命名。アルジェントはその研究書を読み、映画化を企画。連続レイプ殺人を追う女刑事アンナ役でアーシアがここでも主演。ブリューゲルの名画「イカルスの墜落のある風景」を前に気を失った彼女が、人格を変容させていく様子が見どころ。 ぴあシネマクラブの紹介文 若き婦人警官のアンナは、連続猟奇レイプ殺人事件の調査のためにフィレンツェヘ向かう。潜入捜査の最中、彼女は世界的に有名なウフィッツイ美術館に立ち寄る。そしてそこで一枚の絵を見たことで、彼女に思わぬ異変が起こってしまう。絵の中に吸い込まれそうな幻想に襲われ、失神し記憶喪失になってしまうという、”スタンダール症候群”にかかったのだ。やがてアンナは、捜査中の事件の犯人に捕らえられ、暴力的なレイプを受ける。さらに犯人は、彼女の目の前で殺人を犯し逃走。追い詰められるアンナ。事件はいつしか幻想と狂気の深淵へと突き進んでいくのだった。イタリアン・ホラーの巨匠D・アルジェント監督のサイコスリラー。 |
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