投稿者 中川圭一 日時 1998 年 4 月 07 日 14:29:51:
回答先: 「新・サイコファイル」と「トラウマ」 投稿者 矢澤利弘 日時 1998 年 4 月 05 日 23:57:26:
矢澤さんみなさん、こんばんわ
私の言いたかったことを、なんか全部言ってもらったようでありがとうございます。
そうなんですよね、全ての要素を詰め込んだら何の要素も無かったというのはなかなか的を得た表現だと思います。
アルジェントの原点復帰のこの作品を単なる‘パワーダウン‘ととるのか、彼の自分自身への‘新たなる挑戦‘ととるのか難しいところですしそれにより個人の映画への思いも変わってくると思います。
アルジェントはもともと個性的で斬新、悪い言葉で言えばある意味アブノーマルな映像作家(そして我々はそんな所に彼の魅力を感じる)なのですが、その彼が
そのアブノーマルの領域の中でさらに自分を発展させようとしたらノーマルに近づいてしまった(彼の個性が薄くなった)みたいな感じにもとれます。
ですが次の「スタンダール・シンドローム」では彼の世界感が爆発したような印象を受けましたね。
CG画像や頬の銃痕などはよく話題に上りますが(あの狂気がアルジェント?)やはりここで特筆すべきは人の精神面の表現でしょう。
矢澤さんのおっしゃるとうり、彼が人の心をこれだけ丁寧に映像表現したのは初めてだろうし、そこそこ成功していると思います。
同じ‘犯人交代‘作に「シャドー」がありますが作品自体の性質が違うとはいえ、心理描写や表現の深さ、「シャドー」と違い‘いかに正常な人間が壊れていくか‘が実に丁寧に書かれています。
この映画は彼の歴史を踏まえた新境地の作品として十分評価できると思います。
と、色々書きましたがこの2作はKIRKさんの‘アルジェントがアーシアのために撮った映画‘というのが一番的を得ているのかもしれませんね。
余談ですが「トラウマ」を見た後友人が「犯人役をニコロディが演じたほうが良かったのでは?」と言ってました。
まあ彼女の狂気ぶりは「フェノミナ」で実証済みですが、さらにおもしろくなったかもしれません。
母親役が実の母(ですよね?)というのもなかなかです。
いっそのこと父親をアルジェントがやってもいいですね。
でもニコロディに首を切られて殺されるアルジェントって・・・
なんか奥が深そうです。