KEITH EMERSON
キース・エマーソン

Keith Emerson

 


プロフィール PROFILE
1944年11月2日、イギリス、ランカシャー州トドモーデン生まれ。8歳半よりピアノを始め、ロックバンドのナイス(NICE)を経て、1970年、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)を結成する。映画音楽にはインフェルノ(80)デモンズ3(89)の他、ナイトホークス(81)、ルチオ・フルチのマーダロック(85)、ベスト・リヴェンジ(82)、幻魔大戦(86)などがある。



インタビュー INTERVIEW with KEITH EMERSON about INFERNO
(Q:聞き手 Brian Jacobs、 K:Keith Emerson)

Q:映画音楽を手掛けることになったいきさつを教えてください。
K:自分自身が多額の費用をつぎ込まずに、オーケストラを使ったものをもっと探求できると思ったからです。アルバム「ELP四部作」で何かを達成したと思ったのですが、同じ規模で再び行うだけの財力がバンドになかったのです。この方面がちゃんとできる唯一の方法は映画会社に費用を持ってもらうことでした。それだけのことです。

Q:インフェルノは恐怖映画でしたが、それを選んだのには特別な理由があったのですか。
K:子供の頃からホラー映画は大好きだった。写真をやっていた頃、いとこと一緒にホラー写真をよく撮りました。インフェルノをやったのはダリオ・アルジェントがイタリアのホラー映画をたくさん作っていることで有名だったからです。特にインフェルノは身の毛のよだつようなシーンがある。決して気味のいいものではなく、「ビデオ・ナスティ」と呼ばれているものと言ってもいいぐらいですね。あの時、ELPの「ワークス・ツアー」で指揮者を務めてくれたゴッドフリー・サーモンが一緒にやってくれてとても助かった。とにかく楽しかった。でも、オーケストラの連中はそうはいかなかっただろう。彼らは視覚的要素にショックを受けていたみたいだから。当然、スタジオで曲をやってた時は、演奏と一緒に映画が上演されていたわけだからね。

Q:ということは、最初からオーケストラを使っていたわけですね。
K:そうです。映画の進行に合わせて実際に弾いていったし、遅れて出てくるようなシーンがあった場合は、ピアノをちょっと早く弾いてオーケストラをどんどん進めるか、鍵盤の上で少し休んだりした。だから、これは本当に昔の映画と同じようにして作ったのです。その結果、とても異様で不気味な効果が出せた。僕もローマでプレミアを観たが、すばらしかった。あまりにも悲惨なので、途中で退場した人もいましたが。僕が使ったあるテクニックのおかげで、スクリーンで起こっていることを視覚的に強調させることができたのです。

Q:監督のダリオ・アルジェントは曲作りにも参加したのですか?
K:全く口をはさんで来ませんでした。彼は僕のファンで、最初の1週間は僕が何をすべきで何をすべきでないかなど恐くて言えなかったみたいなんだ。僕は彼に、これこれについてどう思うかってやっきになって聞いたんだけど、彼はただ目を大きく見開いて「おお、素晴らしい! 僕の映画の中でも、これが最高の映画音楽だ」と言い張るだけでした。僕は、「何か気に入らないことがあったら言ってください」と言ったのですが、彼はただ座って「とにかく素晴らしい」と言うだけでした。

Q:「メーター・テネブラルム」はいい出来でしたね。
K:あの曲は映画の中程に出てくる壮大なロック作品だった。最初は合唱隊を使って実際の主旋律を歌わせようと思ったのですが、やってみたら実際のメロディ自体がないことに気がついたのです。歌っている人が多すぎてメインの人がいなかったのです。そこで、メロディにメリハリが必要になって、ゴッドフリーが僕の立会の下で合唱隊を指揮して前の晩にテープに入れていたのを覚えている。スタジオから出てきたときは出来に満足していなかったので、次の日早くにまたスタジオに入ったのですが、ちょうどその時隣のスタジオでは別のバンドがレコーディングをしていた。そこには女の子のシンガー、リンダ・リーがいて、僕は正式に彼女にレコーディングに参加してくれないかって頼んだ。試しに彼女に歌ってもらっていたところへゴッドフリーがやってきて、「それは素敵なアイデアだ!」ということになったのです。

Q:インフェルノの出来には満足しましたか?
K:はい。イタリアでその年のベスト映画音楽としてアントーリ・リツオーニ賞を受賞しましたからね。イタリア人以外でこの賞を受賞したのは、僕が初めてだったということだから、とても誇りに思っています。


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