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『海の上のピアニスト』のトルナトーレ監督との出会いは

「イタリア版ヴォーグを見たと電話で言われた翌日にトルナトーレ監督とローマで会って、1週間後にはウクライナのオデッサにママと出発してた。まるで私が演じた移民の少女みたいに私の向かう場所に私の未来があるのか分からない不安な気持ちでいっぱいだったわ」
「16歳の誕生日を迎えたばかりのその日、母と2人でパリからローマにキャスティングを受けに飛んだの。私は普段着で、メイクもせず行ったら、皆は10歳か12歳くらいの子供だと思ってがっかりしたんですって。でも、来たから一応、とヘアメイクしてもらってカメラの前に立ったわ。私は英語もろくに喋れないし、長編映画に出たこともなかったから、期待なんてしていなかったんだけど、1時間半のテストの後、監督が『OK、決めた』って言ったの。驚いたわ」

撮影はどんな感じでしたか。

「撮影中、1900役のティム・ロスは、私のお兄さんで、監督はパパのように私にいろいろなことを教えてくれたわ。映画のこと、この物語のこと。大人としてプロとしての苦労や責任なども。でも、やっぱり、言葉の問題や年齢の違いもあって本当に親密にはなれなかったわ。ただ、映画の中で彼が寝ている私にそっとキスしようとするシーンみたいに、近付けそうで近付けないという関係が一番私たちにはふさわしかったと恩うの。演技することに慣れていない私には親しみすぎないというアプローチのレッスンが必要だったから」
「ティム・ロスは英語だけ、私はほとんどフランス語だけ、トルナトーレ監督も英語は下手だったから、会話はほとんど通訳を通していたの。でも、皆の優しさ、特に監督の心の温かさは直に伝わってきたわ。いつでも誰にでもニコニコと笑いかけて、皆にエネルギーを与える、太陽のような人。私の役は台詞も少なくて、感情表現も激しくないし、女優にとって決して難しくないと今は思うけれど、監督はずっとそぱにいて、細かく見守っていてくれたわ。後作り、という表現があるけれど、それはまるで必要なかったの。オデッサの港に再現された、豪華客船のセットに、200人ものエキストラが、皆1930年代の服を着て、歩いたり話したりしているのよ。最初に見たときはあまりの見事さに圧倒されてしまったわ。本当に自分が30年代にタイムトリップしてしまったようだったから、役の少女になっていた。それまでに私が経験していた、フランスのTVドラマとはまるでレベルが違ったわ。初めて、他人になり全く知らない世界に生きる女優としての喜びを知ったの」

彼が海を漂う船上で生まれ育ち一度も陸に降リたことのない無垢な”少年”のままの大人だとすれば”少女”は地上に降りてきた天使では。

「そう。彼女は、彼に愛という貴い人間的な感情を教えるために地上に現われた天使なの。だから、彼は彼女と出会ったことによって、初めて人間になれたのよ。恋をして、ひとは初めて大人になれるんだと思うの」

映画以外に興味にあるものは。

「もちろん、恋愛だけじゃなくファッションもラテン音楽も映画観賞も興味のあるものはいっぱいある。これからは女優の仕事を中心にやっていく決心もできたけど、私が私らしく魅力的でいられるのは恋のおかげよ」

メラニーがティーン向けのモデルクラフに登録したのは13歳の時だ。


「スーパーモデルの全盛期で、中学の同級生が皆、クラウディアが好き、ナオミが好きって真似してたわ。私の憧れはリンダ・エヴァンジェリスタ。でも私は背が小さいから、自分もリンダになれると甘く思っていたわけではないわ」
「中学3年の時、1週間企業で働く経験をする、という課題があったの。迷わず、パリの有名なモデルエージェンシーのカリン社に電話したら、ブッキングの部署で働かせてくれることになったわ。1週間が過ぎたところで、モデルとしてやってみないか、と言われた時は嬉しかった。でも小さすぎるとあちこちで言われて、しばらくはほとんど仕事もなかったけれど、ある日リンドバーグに撮られた写真が雑誌に載ったら、途端に誰も彼もが私ばかり撮りたがったの。4か月くらい続いたかしら。毎日凄い勢いで仕事したわ。でも、この栄光は絶対続かない、ついこの間私を小さすぎると言った人達はまたある日背を向けていくってずっと自覚していたの。そんな時に『海の上のピアニスト』の話が来て、同じ頃、モデルとしての話は潮が引くように減っていったわ。だから、やっぱりねって冷静に受け止めることができた」
「撮影が終わって高校に戻ったけれど、5か月近く休学した溝は埋められなかったわ。それに、同級生たちの、つまらない嫉妬心に付き合ってもいられなかった。毎日が辛かったわ。そこへ、TVドラマ時代に会ったキャスティングディレクターから電話が来たの。エスメラルダ役はどうかねって」

『カジモド』のオーディションは。

「エスメラルダは当然ラテン系の濃い美人、フロンドで背も低い私なんか無理っていろんな人に言われたわ。『海の上のピアニスト』は公開されていないから誰も私を映画館で見たことはないし、いくら印象強い役と言っても脇役だったのに比べて、エスメラルダは主役。かなりハードルは高い、と自覚していた。最後の3人まで残ったと聞いた時はもうこれで十分と思わなくては、と自分に言い聞かせたわ。もし駄目でも、ここまで来れたのだから、女優としてやって行けるかもしれないよと言われたも同然ってね」

『カジモド』の撮影は。

「撮影までの1か月半、毎晩10時過ぎまで演技指導を受け、台詞を全部叩き込まれたの。とても大変だったけれど、お陰で撮影所に入った時にも必要以上に緊張しないで済んだわ。監督本人がベテランの俳優だから、台詞まわしの細かいイントネーションまで、どうしたら良くなるかをとても上手に教えてもらえて、女優としてとても貴重な体験だったわ。この3月にフランスでその『カジモド』が公開されて、取材の嵐を受けたのも新しい経験だった。自分のことを話すのではなくて、自分が演じた人物のことを話す、というのはとても難しくて、初めてのTVインタビューでは緊張してしまったけど、場数を踏んでいる間に慣れて、面白くなったわ」

女優である喜ぴは。

「女優である喜ぴはと聞かれたら、今ならはっきり答えられるわ。何千もの人生を生きられること、とね。もし女優になることを選んでいなかったら、例えば英語やピアノもこんなに本気で習えなかっただろうし、知らない時代や外国に滑り込んでもいけなかったはず。じゃあこれからはどんな役を演じたいかと聞かれたら、何でも、と答えるわ。暴力的な人物も、ロマンティックなヒロインも、こわい役も、全て。モデルとして求められたような、お人形さんやロリータのイメージに縛られるのだけは御免だわ」

好きな女優は。

「憧れの女優はフランスではジュリエット・ビノシュ。どんな役でも説得力がある才能の持ち主だし、人間的にも温かいから。あとはイザベル・ユぺール、アメリカではメリル・ストリープとジョディ・フォスター。好きな監督や作品では例えばトリュフォーの『突然炎のごとく』『アデルの恋の物語」、ゴダールの『軽蔑』や、タランティーノの『レザボア・ドッグス」など。でも、私が一番演じたいのは2000年世代というのかしら、これから世に出てくる、若い監督の作品ね。私と年齢の近い人たちが作る、新しい映画に、早く出会いたいわ」

仕事のない日は。

「仕事のない日は、家庭教師に来てもらって、高校の課程のおさらいもしているの。今更、と言われても、将来の私の教養のためって自分で言い聞かせているわ。高校を中退したことを、心の傷として残したくないの」

恋人は。

「2年半前からの彼は、高校3年生。バカロレアの哲学の模擬試験の結果が今出て、合格ラインだったんですって。この夏、彼と二人でケニアに旅したんだけど、その時約束したの。彼がバカロレアに受かったら、来年の夏はアフリカに2か月、子供達の世話をするボランティアをしに行こうってね」


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