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TENEBRE
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1982 Color |
監督 : ダリオ・アルジェント |
ピーター・ニール:アンソニー・フランシオサ |
スタジオ:デ・パオリススタジオ(ローマ) 公開日:日本1983年6月11日、イタリア1982年10月28日、米国1983年、フランス1983年4月27日、スペイン1984年11月23日、フィンランド1988年10月7日。 キネマ旬報掲載:紹介863号、批評864号、グラビア860号 |
次第に衝動が高まっていった。そこで彼は最初の殺人を犯した。殺すことで心の束縛がとれ、罪の意識もない。不安も消えて自由を感じた。彼を苦しめていた屈辱感も、この単純な行為できれいに一掃されたのだ。殺人によって。--ピーター・ニール著「暗やみの祈り」 米国ケネディ空港。ニューヨークに住む推理小説作家ピーター・ニールは自作「暗やみの祈り」の宣伝キャンペーンのためローマへ出発する。空港には密かに彼を見送る婚約者ジェーンの姿があった。 ローマ空港での記者会見を終えたニールを出迎えたのは、秘書のアンと出版エージェントのブルマー、エージェントのアシスタントのジアンニ青年だった。宿泊先のマンションへ向かうと、部屋ではロ一マ警察のジエルマニ警部とアルティエリ刑事がニールを待っていた。エルザの口には『暗やみの祈り』が詰め込まれ、小説の手口と同じ殺され方をされたという。
誰だか判らないが、ある男が夢に悩まされている。こんな夢だ。「浜辺で赤いハイヒールを履いた女性が男たちに媚びを売っている。その時、一人の若者が彼女の頬を殴る。女は彼女をとりまく男たちに命じ、その若者を押さえつけさせる。彼女は若者を蹴り続ける。そして、身動きのできない若者の口に、女は赤いハイヒールのかかとを差し込み、顔を踏みつけるのだった。 ニールは飛行機で国外へ向かう。その夜、どうしても謎が解けないジアンニは再びベルティの家を訪れる。ジアンニは自動車に戻るが、何者かに首を絞められて殺される。 犯人はニールだった。ジェルマニ警部とアンもやってくる。ニールは当初の犯人だったベルティを殺し、浮気をした妻を殺害するために、犯人を受け継いだのだ。ニールはカミソリで自分の喉を切り裂き自殺した。連絡のためにジェルマニとアンは自動車に戻る。ニールは若い時に赤いハイヒールを履いたクラスメートの女性を殺害した殺人犯だったが、捕まることはなかった。ニールにはそれがトラウマとなっていた。 ジェルマニが現場に戻るとニールの死体がなかった。ニールは演劇用のカミソリで自殺したふりをしていただけだった。ニールはジェルマニを殺害。ニールは現場に戻ってきたアンも殺そうとするが、幾何学的なオブジェが倒れてきて金属の棒がニールの身体を貫通、ニールは息絶えた。アンはそれを見て叫び続ける。 |
アルジェントとロメロが共同でゾンビの続編を作る計画は実現しなかったが、二人の仲は続いた。10年後、 二人は再び一緒に映画を作ることになる。それがアルジェントとロメロのオムニバス映画、『マスターズ・オブ・ホラー』である。 こうして、『サスペリア』と『インフェルノ』の間に『ゾンビ』を制作したアルジェントだったが、『インフェルノ』の後、 6年ぶりにジャーロの世界に戻ってきた。アルジェントの次の監督作は『シャドー』。この映画は『サスペリア』のアメリカ公開時にアルジェントの身の回りで起こったある事件がもとになっている。 アルジェントはスターフィックス誌のクリストファー・ガン氏に対して、以下のように話している。「(1980年の)2年半前のことだ。わたしはMGMに対してあるホラーを制作するプロジェクトの途中だった。アメリカの製作会社の招待でわたしはロサンゼルスのヒルトンホテルに滞在していた。ある日、わたしのファンからサスペリアについて話しあいたいという電話があり、わたしたちは何気ない話しあいをした。次の日、再び同じファンから電話があり、もう一度会えないかというのだ。彼はサスペリアを見て感電したような衝撃を受けたという。彼は映画を作るということは同じような衝撃なのかと聞きたかったようだ。 次の日から毎日、彼は電話してきた。15回目の電話で、彼はわたしを殺したいと言い出した。彼は正気ではなかったのだ。わたしは父にこのことを話し、警察に連絡した。警察は電話を調査し、質の悪いいたずらだと結論した。しかし、彼は再び電話をかけてきて、警察がわたしのそばにいることは分かっていると言い出した。わたしの皮膚を剥ぎたいと言う。更になぜかわたしが乗ろうとしたタクシーに、わたし宛のメッセージが置かれたりしており、わたしはジョン・レノンを思い出した。『サスペリア』が彼の狂気を目覚めさせたのだ。まわりの人々はわたしに町を出ろと助言した。このことが新しい作品を書くきっかけとなった。それがシャドーだ」。 ロスに滞在中、ヒルトンホテルのロビーに3人の男が乱入し、日本人観光客を狙撃、死に至らしめる事件が起きたが、これもアルジェントに衝撃を与えた。また、ある映画館前に乗り付けた殺人犯がその場にいた人々に手当たり次第に発砲したという話を人から聞いたこともあって、アルジェントが書き上げた『シャドー』は、実際には動機があっても、それが他者には見え難いという、犯罪がはびこる大都市ロサンゼルスのイメージを、ローマに投影した作品になった。 |
ダリア・ニコロディは当初、ジェーンの役を演じる予定だった。ニコロディはジェーンのように、その役が悪役なのか、そうでないのかを観客が把握できないような役どころに魅力を感じていた。曖昧な役を演じることにニコロディは自信を持っていたからだ。だが、撮影準備の最終段階になって、主人公、ピーター・ニールの恋人役アンを演じる予定だったアメリカ人の女優が降板してしまった。そのため、アルジェントはアンを演じて欲しいとダリア・ニコロディに依頼した。ニコロディは気が進まなかったが、結局アンの役を引き受けることにした。そしてジェーンの役はベロニカ・ラリオが演じることになった。映画のラストで、ダリア・ニコロディが絶叫を続けるシーンがあるが、これは欲しかった役がもらえなかったことに対する怒りを彼女なりに表現したものだ。ニコロディはシャドーをアルジェントの映画の中では成功しなかった作品の1本であると評価し、ニコロディ自身もシャドーはあまり好きな作品ではないとのことである。 |
主役のピーター・ニールは、当初、クリストファー・ウォーケンを念頭において脚本が書かれた。だが、ウォーケンはニールの役には少し若すぎた。アルジェントはウォーケンと話し合ったが、最終的にウォーケンは世界的な成功を収めた推理小説家の役には少し若すぎると感じた。リアリティーを大切にし、映画を見た人々がニールを現実に存在する人物だと感じるようにするために、アルジェントはピーター・ニールの役をアンソニー・フランシオサにオファーした。撮影中、アンソニー・フランシオサは映画のセットで時折、酒を飲んでいたということである。 |
アルジェントの作品はストーリーよりもカメラの動きなどのビジュアル面が重要で、脚本は破綻しているという批評が多い。本当にそうだろうか。アルジェント作品を見渡してみると、カメラの動きそのものに特徴のあるシーンはそれほど多くないのに気づくはずだ。『オペラ座/血の喝采』でオペラ座の天井からカメラがカラスの視点になって客席に向かって回転しながら降りてくるショットや『シャドー』でのアパートの屋根を越えてカメラが移動していく長回しのショットなど、印象的なカメラの動きも多い。しかし、そうしたカメラの動きも、コンピューターグラフィックスを多用した近年のアメリカ映画と比較すれば、決して高度な技術を駆使したものとはいえない。 アルジェントの映像の特徴はカメラの動きだけではなく、1ショット1ショットの積み重ねにある。『サスペリア2』の冒頭にある心霊科学学会のシーンを振り返ってみよう。真紅のカーテンが左右に開き、カメラが前進していく。テレパシー能力を持つ女性、ヘルガ・ウルマンの講演が始まるところだ。この時点ですでに映画には張り詰めた雰囲気がただよっている。ヘルガが話を始めると、カメラはさまざまなアングルから彼女を写していく。ある時は望遠で、そして、あるときはクローズアップで、いくつものカットを積み重ねながら彼女を観察するカメラ。常人には考えることもできないようなショットの積み重ねだ。 カメラの動きがダイナミックになったのは『シャドー』からである。カメラがレズビアンの家の壁を登り、屋根を越えてワンショットで窓を通過していくロングショットは、ロマ・クレーンというカメラを使用した。それ以前の作品は、カメラの動きそのものよりも、カットの積み重ねに恐怖を感じさせるものが多かった。 |
日本の劇場公開時のタイトルクレジットは「SHADOW」。日本コロムビア発売のビデオは国際版マスターでタイトルは「TENEBRAE」と出て、その後に続くキャスト・スタッフは英語。テレビ放映時にも「TENEBRAE」と出たが、キャスト・スタッフのクレジットはイタリア語だった。カルチュア・パブリッシャーズ版ビデオ、DVDは「TENEBRE」と表示される。アメリカ版のアンの声の吹き替えは女優テレサ・ラッセルが担当している。 |
日本公開時にはエンディングタイトルで流れる主題歌がキム・ワイルトの「テイク・ミー・トゥナイト」に差し換えられていた。 右の写真は日本公開時にテーマ曲として発売されたEP盤。いくつかのビデオではこのテイク・ミー・トゥナイトがエンディングにそのまま使われている。イタリアのオリジナル版ではシモネッティ・ピニャテッリ・モランテによるインストルメンタル曲が使用されている。 通常、日本でエンディングを改編すると、映画の雰囲気を壊す場合が多いが、このテイク・ミー・トゥナイトはなかなか映画にマッチしていた。 |
北川れい子氏はキネマ旬報世界映画作品・記録全集1985年版で、「シャドー」を次のように批評している。「アルジェントウ監督は主人公に”不可能を消去して残ったものが、それが意外に見えても真実だ”と語らせ「サスペリア」や「インフェルノ」とは一味ちがう恐怖サスペンスをねらっているが、途中で殺人鬼が入れ替わったりして肩すかしの印象が強い。もっとも、クロース=アップによる残殺シーンでナイフが首を切り裂くショットや、ラストで犯人と犠牲者が二転三転するトリックはスリリングではある」 |
各映画ガイドにおける作品紹介を比較する。短いコメント文でも、筆者の見解が分かれるのは興味深い。 ホラーの逆襲の紹介文 初期のミステリータッチに戻ったといわれた推理サスペンス。カミソリを使った殺人シーンが鮮烈なインパクトを持つ。『サイコ』のシャワー殺人を彷佛とさせるレズ殺人シーンが秀逸。原題の意味は”闇”だがアルジェントは「まばゆい光に満ちた作品だ」と語る。 ぴあシネマクラブの紹介文 「サスペリア」「インフェルノ」などでイタリアン・ホラーの巨匠となったアルジェント監督の意欲作。ニューヨークからローマにやって来た売れっ子の推理小説家が、次々と猟奇殺人事件に巻き込まれる。それは自分のの書いた小説の中の殺人犯とまったく同じ手口だった。日本でも大当たりをとった「サスペリア」で確立したスタイリッシュなホラー演出に磨きをかけ、血の臭い漂う”恐怖”を、ラストシーンまで一気に描ききっている。殺人鬼が"若い女性を襲う際の、光と影のコントラストの絶妙さ、夜のプールに映るにぶい光、砕けたガラス窓の破片など、恐怖感を盛り上げる映像美が秀逸。 ローマへやって来たアメリカの推理小説家の周囲で次々に起きる猟奇殺人を描いたスリラー。悪魔や魔女といった超常現象的な要素を持たないD・アルジェント作品で、相変わらず殺しのシーンとショック・シーンだけが異彩を放っている。 |
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