同感です。


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投稿者 金子雅一 日時 1998 年 1 月 23 日 01:40:19:

回答先: エレベーター論 投稿者 矢澤利弘 日時 1998 年 1 月 21 日 23:40:36:

エレベーターの使用頻度が高いこと、そしてご指摘の自動ドアのシーンは
僕も前から気になっていました。
エレベータや自動ドアの「機構」「仕掛け」を実に恐ろしげに、そして
エロティックに撮るなあ、と思ってました。
確かに言われる通り、それは(日常的ではあっても)非人間的な機構に対する
潜在的な恐怖心を甦らせようとするものでしょう。

潜在的な恐怖心をあおるということでは、「サスペリア」における「排水溝
から溢れ出る水」のクローズアップもまた、エレベータや自動ドアにひけを
とらない恐ろしいシーンだと思います。
このシーンの恐怖感についても、似たような指摘ができるでしょう。
かなり抽象的な解釈ではありますが、このシーンの(戦慄さえ覚えるほどに)
どうどうと溢れる「水」は、なにか意識の抑圧をやぶって湧きだしてくる
「本能的なものの象徴」のように感じられるのです。

そのへんに関連して、ちょっとフォローアップというには大きい話に
なってしまいますが....
サブリミナル心理操作技術を解説したキイ博士の「メディア・セックス」に
映画「エクソシスト」の興味深い分析があります。(この本自体はけっこう
キワモノで、またそこが面白いのですが...)
悪魔払いの神父がはじめてリーガン(首の回る娘)の家を訪れるシーンで、
途中の道は次第に荒廃し、壁に落書きが増え、しまいに壊れた車の屋根に
乗って遊ぶ子供が現われる。キイ博士によれば、このシーンは「じょじょに
文明が荒廃し、科学工学が役立たない、なにか悪魔的で原始的な世界へと
移行する」感覚を観客に与えようとするものなのだそうです。
この分析が的を射ているかどうかは別として、
「サスペリア」の冒頭の大嵐のシーンがこれに似た効果を狙っているのは
確かではないかと思います。自動ドアや排水溝に対する(不安に満ちた)
強迫神経症的な描写から、森を走るパット(そしてBGMは「WITCH」!)
に至るあのシーケンスは、ジェシカ・ハーパーとともに僕ら観客が、
徐々に理屈の通用しないアルジェントの不条理世界を受け入れていかされる
過程になっている。いってみれば「イニシエーション」ということでしょうか。:-)
(このシーケンスが終わり、ひさびさに青空を見るシーンには、心底ホッと
させられますよね)



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