投稿者 矢澤利弘 日時 1998 年 1 月 21 日 23:40:36:
アルジェントの映画ではエレベーターがしばしば活躍する。
最大の使用例は「サスペリア2」のラストシーンであることに間違いはない。しかし、「トラウマ」においてもエレベーターによる首の切断シーンがでてくる。
また、「わたしは目撃者」のラストシーンにおいても学者のカゾーニはエレベーターホールに落下して死亡する。
さらには「サスペリア」「インフェルノ」においてもエレベーターのシーンはでてくるのである。なぜ、こんなにエレベーターが多用されるのか。
それは、誰もがエレベーターに対する恐怖心を持っているからであろうと思う。誰しも一度はエレベーターのドアに挟まれる恐さ、ゴンドラが落下してしまうかもしれないという恐さ、
閉じこめられるかもしれないという恐さを想像する。それは誰しもが記憶の奥底に持っている潜在的恐怖なのである。
アルジェントはそうした記憶の奥底の恐怖を過剰なまでに拡大化して我々の前に提示する。
例えば、「サスペリア」の冒頭の自動ドアの開閉シーン。何故、あのシーンが恐いのか。それは、誰もが自動ドアに挟まれるかもしれないという恐怖心を心の奥底に潜めさせているからに
他ならない。実際にドアに挟まれるシーンを撮る必要はない。ドアが仰々しく開き、そして閉じる。それだけで我々は恐怖を感じずにはいられないのである。