投稿者 中川圭一 日時 1998 年 2 月 11 日 05:35:36:
回答先: Re: 「わたしは目撃者」について 投稿者 ユーベ 日時 1998 年 2 月 09 日 21:29:46:
どうもこんばんわ、実は昨日カソーニ産業スパイ説をこの眼で確認すべく、原付で丸1日(激寒!!)「私は目撃者」を探したのですが、案の定ありそうな気配すらなく入手できませんでした。(いろいろと副産物はありましたが・・・)そういうことで、記憶をたどりながら私なりの意見を書きます。間違ってたらすいません。
まず‘脚本が弱い‘ということですが、この映画の脚本は実によくまとまっていると思います。(アルジェント的にはですけど・・・)ある意味‘映像美と脚本の両立‘をそこそこ実現した映画ではないでしょうか。「歓びの毒牙」や「サスペリア」、「フェノミナ」よりもはるかに分かりやすく、つじつまも合ってます。しかし、しかし!!!如何せん面白味がないというか、アルジェントにしては魅力がないと最初感じたんです。はるかに「歓びの毒牙」や「サスペリア」、「フェノミナ」の方が、初め見た時魅力的で面白かったです。
自分なりに理由を考えたのですが、この映画はアルジェントにとっては2作目ですが、私にとっては6作目なんです。だからある程度アルジェントワールドを期待して見たからでしょう。実は初見の時、マルデン(クッキー)が犯人で(実は眼は見える)いつもどうり影武者が研究所員だと推理してたんです。たしかクッキーが主人公に電話で襲われた話をする時、犯人を‘奴ら‘と言ったり、墓場のシーンも怪しいし(自作自演?)あの眼のアップもきっとクッキーだろう・・・とかなり先読みをしてたんですが・・・
そうなんです私はこの映画の‘犯人‘におおいなる物足りなさを実にひしひしと感じました。まず犯人が完全な単独犯でありどんでん返しがないこと(アンコールのないコンサートのよう?)。また、カソーニ自身にインパクトが無いこと。アルジェント映画の犯人って、意外だけれど周知の人物と言うのがまあお決まりですよね。初めカソーニが出てきた時思わず‘これ誰?‘と思いました。たとえば「シャドー」での犯人がやっぱりベルディだけだと物足りないですよね。あと、カソーニはアルジェント映画唯一の(理数系の)天才的頭脳を持った記念すべき犯人なのに、これがぜんぜん頭が悪い。(物理学賞とってたはずなのに・・・)これをもっと生かして欲しかったですね、せめて「太陽を盗んだ男」の沢田研二くらいは・・・まあやはり天才ゆえに普段の行動は曖昧なのでしょう。
以上が私的に初見の時感じたことですが、まだまだあります。あと私のカソーニ動機論も・・・おそるべしっっ!!!「音無可憐」じゃなくて「私は目撃者」!!!それではまた後日書かせてもらいます。おやすみなさい・・・(明日も遅刻か?)