投稿者 ユーベ 日時 1998 年 2 月 09 日 21:29:46:
回答先: Re: 「わたしは目撃者」について 投稿者 中川圭一 日時 1998 年 2 月 09 日 04:08:41:
:始めてみた時は‘なんてもったいない!‘と思ったものです。盲目の主人公と子供、そして新聞記者が事件に巻き込まれ犯人を追う、こんないい設定なのに、如何せん話が面白くない。
難しい問題です。映像美と、構築された脚本というものは両立しえないのでしょうか。他のアルジェント作品も途中まではいいが、ふとした瞬間にガラガラと音を立てて崩壊していく…。それがアルジェント作品の弱点だと多くの評論家が語ってますが、「わたしは目撃者」に関してはかなりマシな方だと思います。脚本の弱さを突かれれば「サスペリア」や「フェノミナ」、初期のアルジェント作品も…ってことになるでしょ?それを言ってはいけないですよ。(笑)
:ラストの犯人も動機がいまいちパッとしないし、案の定わざわざ自分から出てくるし・・・
その辺も論議すべき問題ですね。殺し方のサイコぶりから見て、犯人のカソーニ博士は動機云々よりもかなり精神倒錯した男じゃないでしょうか。あの研究所の性格(所長と養女の関係。ブラウン博士のホモセクシャル。)から考えて、かなり異常な環境が構築されており、天才肌のカソーニにとってかなりの精神的な圧迫が加わったんじゃないでしょうか。その証拠に自分の仲間をどんどん血祭りにあげていく。たとえ、それが事件の隠蔽工作だとしても異常すぎやしませんか?
犯人の動機に関して、僕なりの意見を述べさせてもらえるなら、カソーニ産業スパイ説を取りたいと思います。この異常な研究所から逃げたい心も働き、自分の得た遺伝子のデータを他に売ろうと考えてたのではないでしょうか。所々でそれを匂わせるコメントが出てきます。それにより自分の名を世界に知らしめれることも可能だし。最後の犯人の顔割れの件ですが、これはカソーニのミスに過ぎません。天才ゆえに普段の行動が曖昧で、所々に粗があるのでしょう。彼の目線で動くショットを見てみて下さい。異様です。