4 MOSCHE DI VELLUTO GRIGIO
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1971 Color |
監督:ダリオ・アルジェント |
ロベルト・トビアス:マイケル・ブランドン 地下鉄のエキストラ、劇場のマスクをかぶった男:ルイジ・コッツイ |
フィルムネガフォーマット:35 mm 製作期間:1971年7月12日、トリノおよびミラノで撮影開始 公開時コピー:血に飢え狂い飛ぶ謎の蝿!殺しの現場に恐怖を呼ぶ!影なき殺人魔が次々と仕掛ける必殺の罠!異常な戦慄で迫る本格的サスペンス・アクション! キネマ旬報掲載:紹介606号、批評607号、グラビア597号 |
強烈なリズムがスタジオに鳴り響いている。若くて美貌のドラマー、ロベルトは共演のヒット・ミュージカルグループとのリハーサルを終えた。その帰り道、彼は執拗につきまとう謎の男を誤って刺し、オーケストラボックスに転落させて殺してしまった。そのとき、仮面をかぶった謎の人物がその場面を写真に撮った。この日から彼の平穏な日々が一変し、証拠写真や脅迫電話が舞い込み、恐怖に脅える日々が続くことになる。妻のニーナは夫の告白を聞いてなぐさめようとするが、彼の暴君的な言葉の前にどうしてやることもできなかった。 |
ラストの自動車の衝突のシーンでは、1秒あたり3,000から60,000フレームを撮影できる旧東ドイツ製の超スローモーションカメラを使用した。 |
『4匹の蝿』の主人公、ロベルトの役は当初、『歓びの毒牙』のトニー・ムサンテを予定していた。しかし、ムサンテは法外な出演料を要求したため断念。テレンス・スタンプが候補となった。だが、スタンプは出演の条件としてロベルトのキャラクターに手を加えることを要求。アルジェントは拒否し、スタンプも役を降りた。続いて『ドクトル・ジバゴ』のトム・コートネイに白羽の矢が立ったが、今度は製作会社のパラマウント映画がこれを拒否。ジョン・レノンかリンゴ・スターを主演にするよう要求してきた。アルジェントはどちらも適役とは思わなかった。『暗殺の森』のジャン・ルイ・トランティニャンという話も持ち上がったが、他の仕事とのスケジュールの関係で降板せざるを得なかった。 パラマウントはアメリカのポップシンガー、ジェームス・テイラーを推薦してきた。アルジェントは乗りかかったが、彼の出演している『Two Lane Blacktop』の興行収入が思わしくなかったため、アルジェントの気持ちが変わった。そこで、マイケル・ヨークと契約を交わした。だが、撮影に入る数日前に契約はキャンセルされることになった。ヨークの主演している戦争アクション映画『ツェッペリン』の撮影が延びたため、スケジュールの都合で『4匹の蝿』への出演が不可能になったからだ。 アルジェントはこれ以上待てなかった。アルジェントは『ふたりの誓い』に出ていた若い俳優、マイケル・ブランドンを思い出した。『ふたりの誓い』は結婚を誓い合った若い二人と、彼らを取り巻く既婚者たちの倦怠と不和を描いたコメディー。アルジェントとブランドンはどことなく似ているという周囲の声もあり、ブランドンは契約書にサインした。アルジェントも含めて誰もマイケル・ブランドンが適役だとは思わなかったが、『4匹の蝿』の主人公は紆余曲折の末、ブランドンに決まった。 |
ニーナ役のミムジー・ファーマーは自分の最初の妻にそっくりだったため、アルジェントは彼女をキャスティングしたのではないか、とも伝えられている。実際、『4匹の蝿』の撮影現場では多くのスタッフがミムジー・ファーマーをアルジェントの妻だと思っていたそうだ。アルジェントは最初の妻マリサとは多くの問題を抱え、離婚してしまった。アルジェントがマイケル・ブランドンをキャスティングしたのは自分に似ていたからであり、ミムジー・ファーマーをキャスティングしたのは、自分の前妻に似ていたからだとしたら、『4匹の蝿』のロベルトとニーナの関係はアルジェントと前妻の関係を映画に投影したものなのかもしれない。 |
キネマ旬報社の世界映画作品・記録全集1975年版において、川本三郎氏は4匹の蝿を「本格的なミステリーじたてだが、もう一歩というところ」とコメントしている。 |
森卓也氏はキネマ旬報607号146ページにおいて、4匹の蝿の批評を展開している。森氏は「マカロニものというのは、どうも性に合わない」との一文から批評をはじめている。だが、批評とは本来、筆者の性に合うか否かですべきものではない。続いて、森氏は映画のなかで、一番おもしろい部分として、「メイドが公園で犯人を待っている内に、約束の刻限が過ぎて、夕闇が忍びよる」シーンをあげている。「遊んでいた子供たちも、木陰で抱き合っていたアベックも、カット・インで姿を消す、という荒っぽいタッチが、不条理な怪奇効果を盛りあげ、殺されるメイドの悲鳴を、ブロック塀の外の通行人が、聞きつつも手が出せない、という趣向もある」と森氏は評している。4匹の蝿のなかで、夜の描写は抜きにでており、この点の指摘は妥当である。 また、森卓也氏は「呆れたことにこの映画、最後に、なんと小酒井不木の「網膜現像」を、大マジメに持ち出した」と書き、「さて、その謎の心は、と問えば、これが都筑道夫氏もひきつけを起こしかねまじき珍解決。脚本・演出ダリオ・アルジェント。話のタネだよ見ておいで」と続けている。 レーザー光線を殺された被害者の網膜に当てて死の瞬間に見た映像を再現しようというアイデアは、共同脚本のルイジ・コッツイが読んだ新聞記事が元になっている。その記事の内容とは、ドイツの警察が、死んだ直後の人間から目を取り出して、そこから最後の瞬間にどのようなことを思ったのかを探る研究をするというものであり、まったくの絵空事ではない。小酒井不木の小説とは無関係である。また、確かに殺人の動機はフロイト的なものであり、とって付けたようなエンディングとも思えるが、「都筑道夫氏もひきつけを起こしかねまじき珍解決」という表現は不適当であろう。 森卓也氏は、ロベルトが訪ねた私立探偵についても「これはたとえば、シナリオ・ライター出身のシドニイ・シェルドンのミステリ「裸の顔」の、一見ズッコケ風私立探偵という、まさにアメリカ的なユーモアなのだが、そこがマカロニの悲しさで、なまじっかなそうしたサービスが、かえってヤボったく、シラけるのだ」と指摘している。だが、映像先行型のアルジェント作品を小酒井不木や都筑道夫、シドニイ・シェルドンという小説家の作品と比較して論じてもまったく意味がないのである。 もっとも、「むしろ、雨の夜に、怪しい奴とばかり棍棒をふるったら、速達を持ってきた郵便配達人で、以後、その配達人は、ドラマーの姿をみるたびに、あらぬことをわめいて逃げ廻る、というくり返しの方が、まっことイタリア的で、アルベルト・ソルディの喜劇でもみているような、ドロくさいおかしみがある」という指摘は妥当と思われる。 森氏は、「『見えない恐怖』と二本立ての池袋スカラ座の二階席は、歩くたんびにゆらゆら揺れて、こっちの方がこわかった。いうなれば、これぞスプラッシュの醍醐味なのであります」と結んでいる。これは単なる筆者の感想文であって、とても映画批評とは呼べまい。 |
ルイジ・コッツイによれば、アルジェントの最初のアイデアでは、ロベルトが謎の男を冒頭で本当に殺してしまうというものだった。しかし、それではロベルトが悪役になってしまうため、コッツイは反対し、男の死をトリックにするということに変えた。また、当初は降霊会のシーンを『4匹の蝿』のオープニングに持ってこようとしていたが、アルジェントとコッツイは本当の霊が出てくるか、偽の降霊会にするかで意見が割れた。結局、そのシーンはボツとなったが、アルジェントはそのシーンにこだわりがあったのか、『サスペリア2』の冒頭や『トラウマ/鮮血の叫び』で降霊会のシーンを撮っている。 レーザー光線を殺された被害者の網膜に当てて死の瞬間に見た映像を再現しようというアイデアは、ルイジ・コッツイが読んだ新聞記事が元になっている。コッツイはよく新聞や雑誌を読み、奇妙な記事があると、切り取ってスクラップしていた。その中にドイツの警察が、死んだ直後の人間から目を取り出して、そこから最後の瞬間にどのようなことを思ったのかを探る研究をするという変わった記事があった。ルイジ・コッツイはその記事をアルジェントに見せて、このアイデアは空想の話ではなく、実際の研究であると説明したところ、アルジェントは納得した。 ラストで車のフロントガラスが砕け散る印象的なスローモーションのシーンがあるが、これもルイジ・コッツイのアイデアだ。コッツイの処女作『TUNNEL SOTTO IL MONDO』を一緒に作った友人の1人がトラックと衝突して死んだという事件が元になっている。コッツイは彼の死が頭から離れなかった。ちょうど『4匹の蝿』のラストを考えているときに、そのことが頭に浮かんできたため、コッツイはそれを脚本に書き込んだ。冒頭に出てくる蝿のシーンはレイモンド・チャンドラーの小説「かわいい女」からとられたものである。 『わたしは目撃者』には、犯人の眼球がクローズ・アップで写し出されるという印象的なショットがある。これはロバート・シオドマク監督のアメリカ映画『らせん階段』からアイデアを得たものだが、アルジェントは『4匹の蝿』でも似たような効果を使いたいと考えていた。そこで殺人が起こるたびに、犯人の微笑む口元だけが暗闇に浮かびあがるというシオドア・スタージョンの小説「When Your Smiling」のアイデアを採用するのはどうか、とコッツイはアルジェントに勧めた。アルジェントはこのアイデアを気に入り、脚本に加え、実際に撮影も行った。しかし、出来上がったフィルムを見てみると、それが女性の口であることがすぐにわかってしまった。これでは犯人がすぐにわかってしまうため、結局そのシーンは使われなかった。 |
製作者のサルバトーレ・アルジェントとフランスの製作会社の間でトラブルが発生、裁判に持ち込まれ、現在は権利関係が不明確となっている。フランスで発売されたフランス語版では精神病院の回想シーンや殺人シーンがカットされている。ギリシャで発売された英語版はテレビサイズにトリミングされている。 |
各映画ガイドにおける作品紹介を比較する。短いコメント文でも、筆者の見解が分かれるのは興味深い。 それぞれの原題の意味からいわれるアルジェントの初期”動物3部作”最後の作品。父親に憎悪を持つ女性が、父親に似た男を攻撃対象に選び、殺人や嫌がらせを繰り広げるというスリラー。ニヒルな薄笑いを浮かべた人形のマスクを被った犯人が闇に浮かぶ姿が不気味。主人公の夢に現われる斬首処刑のイメージが印象的。 チラシ裏面の解説文 父親から受けた幼い頃のショッキングな体験。そのことが次第に心の底がら重くのしあがる。やがて父親によく似た若きドラマーを冷酷な罠におとし入れ、その異常な復讐をたのしみながらおぞましい過去をぬぐいさろうとする。こうして次々と起きる殺人事件の中でこの若きドラマーが恐怖のドン底へと突きおとされていくというスリリングなサスペンス・アクション。 主演にはカンヌ映画祭参加作品「モア」で一躍世界的な脚光を浴びたミムジー・ファーマーと期待の新人マイケル・ブランドンとの新鮮な共演。若きドラマー役を減じたこのブランドンは「さよならコロンバス」で端役をつとめた後、『恋人たちと他人』で注目され、遂にこの新作の主役に抜てきされることになった。 全洋画の解説文 |
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