SUSPIRIA
サスペリア


 "Bad luck isn't brought by broken mirrors, but by broken minds."
 -Frank

SALVATORE ARGENTO presenta
un film di DARIO ARGENTO
JESSICA HARPER-STEFANIA CASINI

Suspiria



1977 Color (Technicolor)


Suzy Bannion decided to perfect her ballet studies in the most famous school of dance in Europe. She chose the celebrated Academy of Freiburg. One day, at nine in the morning, she left Kennedy Airport New York and arrived in Germany at 10:40 pm local time.



[STAFF]

監督 : ダリオ・アルジェント 
製作総指揮 : サルバトーレ・アルジェント
製作:クラウディオ・アルジェント per la S.E.D.A Spettacoli di Roma
配給:P.A.C. 東宝東和、VIPインターナショナル・プロ
脚本:ダリオ・アルジェント、ダリア・ニコロディ
撮影:ルチアーノ・トボリ
音楽:ゴブリン&ダリオ・アルジェント
美術:ジュゼッペ・バッサン
衣装デザイン:ピエランジェロ・チコレッティ
編集:フランコ・フラティチェリ
特殊効果:ジェルマーノ・ナターリ
英語ダビング編集:ニック・アレクサンダー
音響効果:ルチアーノ・アンゼロッティ
録音:マリオ・ダリモンティ
録音技師:フェデリコ・サビーナ
マイク操作:コラード・ヴォルピチェリ
美術監督助手:デバイデ・バッサン、マウリツィオ・ガローネ
セット:エンリコ・フィオレンティーニ
セット助手:マッシモ・ガローネ
大道具:アルド・タローニ
キーグリップ:マリオ・モレスキーニ
照明:アルベルト・アルティブランディ
スチール:フランチェスコ・ベローモ
第1編集助手:ピエロ・ボザ
第2編集助手:ロベルト・オリビエリ
制作コーディネーター:マッシモ・ブランディマルテ、フェデリコ・スタラース
ヘアメイク:マリア・テレサ・コリドーニ
カメラ助手:リカルド・ドルチェ、エンリコ・フォンターナ、ジュゼッペ・ティネーリ
助監督:アントニオ・ガブリエリ
メイクアップ:ピエラントニオ・メカッキ
メイクアップ助手:ピエリーノ(ピエロ)・メカッキ
ヘアメイク助手:アルド・シニョレッティ
衣装:ティジアーナ・マンシーニ
スクリプター:フランチェスカ・ロベルティ
衣装制作:ベルチッタ・シルベストリン
フォットウェア:ラファエル・サラート
カメラ操作:イデルモ・シモネッリ
ユニットマネジャー:フェデリコ・トッチ
プロダクション・マネジャー:ルーチョ・トレンチーニ
経理:フェルディナンド・カプート、カルロ・デュボワ
広報:ニーノ・ヴェンディッティ

[CAST]

dvd sleeve スージー・バニオン:ジュシカ・ハーパー
サラ:ステファニア・カッシーニ
ブランク夫人 :ジョーン・ベネット
ミス・ターナー:アリダ・ヴァリ
ダニエル:フラビオ・ブッチ
精神分析学者フランク・マンデル : ウド・キアー
マーク:ミゲール・ボゼ
ソーニャ:スザンナ・ジャビコリ
ミリウス教授:ルドルフ・シンドラー
ヴェルディガスト医師:レナート・スカルパ
オルガ :バーバラ・マグノルフィ
パティ(パット)・ヒングル:エヴァ・アクセン
タクシーの運転手:フルビオ・ミンゴッツイ
ダンサー:アレッサンドラ・カポージ、サルバトーレ・カポージ、ダイアナ・フェラーラ、クリスティーナ・ラティーニ、アルフレード・ライノ、クラウディア・ザッカリ
パブロ:ジュゼッペ・トランソッキ
教師:マルゲリータ・ホロウィッツ
アルバート:ジャコポ・マリアーニ
キャロライン:レナータ・ザメンゴ
コック:フランカ・スカネッティ
その他のキャスト: セラフィナ・スコルセレティ、ジョバンニ・ディ・ベルナルド

その他の情報

撮影期間:1976年3月13日ー7月26日
フィルムネガフォーマット:35 mm
現像:テクノビジョン
フィルムプリントフォーマット:35 mm
画面比 2.35:1
日本語版監修:山崎剛太郎
時間 : 99分
ロケ地の情報へ
公開 : 日本 1977年6月25日(東京地区:日比谷映画、新宿プラザ劇場、渋谷東宝、京浜地区:相鉄映画、京阪神地区:北野劇場、東宝敷島、などにて公開)、イタリア1977年3月7日(ローマのメトロポリタン・シネマにて)、西ドイツ1977年5月5日、フランス1977年5月18日、米国1977年8月12日(1979年再公開)、スウェーデン1978年7月24日
日本公開時コピー:決して ひとりでは見ないでください−− 白いトウシューズが真赤に染ったとき スージーは、それが全て現実だと知った……

キネマ旬報掲載:紹介713号、批評712号、グラビア708号

サスペリア分析採録

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eva axen

ストーリー

video sleeve   雷鳴を伴った激しい雨がドイツの古い街並に降り注ぐ夜であった。バレリーナ志望の若く美しい娘スージーは、このドイツにあるバレエの名門校に入学するために、遠くニューヨークからやって来た。空港でようやく拾うことができたタクシーに乗ってスージーは学校に向かう。排水溝になだれ込む激しい雨水、濁流が車の窓から見える。何か恐ろしいことが起こりそうな予感に迫られながら、スージーがやがて到着したバレエ学院は赤い館。そしてその建物の玄関では、若い生徒であるパットが何者かに追われているかのように怯え、何か叫んでいた。「秘密のドアが、アイリスが三つ、青いのを回すのよ...」
 恐怖に顔をひきつらせたパットは、雷鳴の中を自分のアパートへ、ずぶ濡れになって戻っていった。この奇妙な光景を見たスージーは、すぐに玄関に走り寄って、ドアを開けるように頼んだが、インターフォンからは、なぜか冷たい拒絶の言葉が返ってくるだけであった。途方に暮れたスージーは、仕方がなく街のホテルを探して最初の夜を迎えた。
 数時間後、アパートにたどり着いたパットの身の上に、奇怪なことが起こった。自室に入った時、この世のものとは思えない呻き声を耳にしたパットは、その直後、窓の外の闇の中から、突然現われた毛むくじゃらの腕に締めつけられ何度も何度も胸や腹をナイフで突き刺されてしまうそのパットの悲鳴を聞きつけて駆けつけた友人も不運な惨死の道づれとなって鮮血に染まった。

Dario Argento翌日、バレエ学校を訪れたスージーは、ようやく入学することができた。そこには、海外旅行中という女理事長のマダム・ブランク、厳格な主任教師のターナー女史、盲導犬に引かれる盲目のピアニストのダニエル、ルーマニア人の下男パブロ、マダムの甥で9歳になるアルバート少年等、全てがどこか奇怪なムードが漂うのはどういう訳なのかなぜか突然身体が不調となったスージーは、早速始まった厳しいレッスンの途中でばったりと床に倒れこんだ。

スージーは、やがてアメリカ人の生徒サラと仲良しになり、学院の様子をこと細かく知るようになった。その夜、寄宿舎の天井から無数の白いうじ虫が落ちてくるという事件が起こった。学院はパニック状態になったが、その原因はその事件の原因は屋根裏に保存してあったスペイン製のハムやソーセージに寄生したものと判明した。そこで、当分の間、生徒たちは全員、バレエ練習用の大ホールにベッドを移して寝起きすることになった。
 真夜中、ベッドに入っても眠れないスージーとサラは、大きな仕切り用のカーテンの向こうから漏れてくる不気味な呻き声にひどくおびえ、またその呻き声の周辺からどこかへ立ち去っていく奇妙な足音を耳にした。サラはあの呻き声の主が、海外旅行中の理事長ではないかとスージーに告げたが、翌朝、それをターナー女史に尋ねると、なぜか冷たい否定が返ってくるのだった。

poster 次の日、マダム・ブランクの甥のアルバートがダニエルの盲導犬に噛みつかれるという事件が起きた。ターナー女史は烈火のごとく怒り、ピアニストのダニエルをダニエルをクビにしてしまった。ダニエルは捨て台詞を吐きながらその場を立ち去った。こうした事件の起こる中、スージーとサラは、夜ごとターナー女史たちの靴音に好奇心をかきたてられた。なぜ教師たちの靴音が響き、突然それが消えてしまうのか。サラはその靴音を追って廊下に忍び出た。一方、その夜、ビアホールからの帰り道のダニエルは、いきなり自分の盲導犬に噛みつかれ、殺された。

 次の夜、スージーの寝室に来たサラは、最初に変死したパットから、事件の直前に奇妙な話しを聞かされ、謎めいたメモを預けられたことを告げた。しかし、スージーは、なぜか突然睡魔に襲われる。仕方がなく自室に戻ったサラは、突然、恐怖心に襲われ、廊下に逃げ出した。何者かが追いかけてくる気配を感じ、サラは廊下を逃げるが、逃げ場所を失い、屋根裏へ逃げ込むが、高い窓から工具室に転倒する。そこにあった無数の細い針金がサラの白い肌にからみつく。まるで蜘蛛の巣にかかったかのように身動きができないサラの腹部に何者かの手でナイフが突き刺さる。最後に喉を掻き切られたサラは惨死する。

 翌朝、サラの姿が見えないことを不審に思うスージーにターナー女史は、サラが荷物をまとめて退学していったことを告げる。これを奇妙に思ったスージーは、サラの友人の精神分析学者フランコを訪ね、学院についての奇妙な出来事を相談した。フランコは学院の歴史と魔女についての話しをした。より詳しいミリウス教授の話しもその場で聞くことができた。

 その夜、誰もいない寄宿舎に戻ったスージーは意を決して、秘密を暴こうとする。足音の数だけ廊下を歩くと、スージーは校長室にたどり着く。そこでスージーははじめての夜の女学生の言葉を思い出す。「アイリスが三つ。青いのを回すのよ...」
 壁を見ると、アイリスの飾りがあった。青いアイリスを回すと秘密のドアが開く。奥の部屋では教師たちが魔女の儀式をしている。この学院は魔女たちの館であったのだ。姿を見られたスージーは、別の部屋に逃げ込む。そこには長老のエレナ・マルコスがカーテン越しのベッドにいた。スージーはカーテンを開け彼女を見ようとするが、そこには誰もいなかった。突然、サラの死体が動きだし、スージーに向かってナイフを振るいはじめた。絶体絶命のピンチ、雷の光がエレナ・マルコスの身体を光で浮かび上がらせた。スージーは全力を振り絞り、ガラスでできた孔雀の置物の羽を取りマルコスを突き刺す彼女の死とともに館が崩れはじめる。教師たちも阿鼻叫喚の様子だ。やっとのことで館の外に逃げ出したスージー。激しい雨のなか、スージーは笑みを浮かべた。

人工的な美学

poster アルジェントが超自然的な世界を描いたのは現在までのところ、『サスペリア』と『インフェルノ』の2本だけである。この2本に共通して、まず驚かされるのは人工的な美しさである。徹底した作り物の美しさだ。ジョン・コールマンはニュークライテリオン誌に「サスペリアはルイス・キャロルとカリガリ博士を合わせたような作品だ」と書き、ソーホーウイークリーニュースのロブ・べーカーは「ロマン・ポランスキーが反撥のすぐあとに不思議の国のアリスを撮ったようなものだ」と述べている。

 『サスペリア』の制作を始めたころ、アルジェントはアメリカの製作会社のためにH.P.ラブクラフトの小説を下敷きにした映画を作ることになっていた。しかしそれは実現しなかった。「彼の小説からきっちりとしたストーリーを作るのはそう簡単ではない。そこで、幻想映画を撮ろうという考えが浮かんだ。魔女は魅力的だ。わたしは悪魔を信じていない。映画で悪魔が登場するといつも笑ってしまうのだ」とアルジェントは語っている。

 『サスペリア』は白雪姫と7人の小人の影響が大きい。最初の草案では、魔女が先生をやっている学校で子供たちが魔女たちに傷つけられていくという話をアルジェントは考えていた。アルジェントは白雪姫に毒りんごを渡す魔女が怖かったのだ。ラブクラフトの企画は実現することはなかったが(ちょうどその頃、イタリアの大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスからアガサ・クリスティの小説を映画化する申し出があったが、アルジェントは他人の原作の映画化に興味を示さずにこれも断っている)、その方法論は『サスペリア』と『インフェルノ』で結実することになる。

表現主義的なサスペリア

 アルジェントの映画は、イメージをダイレクトに映像化するという意味では表現主義的である。例えば、サルバドール・ダリのイメージをルイス・ブニュエルが映像化した『アンダルシアの犬』(1928)にも眼をカミソリで切ったり、手のひらをアリが這い回ったりするシーンがある。

上の写真はアンダルシアの犬から。目を切るカミソリ、アリの群がる手のひらなど

 画面設計において、『サスペリア』と『アンダルシアの犬』の共通点を見て取れないであろうか。『アンダルシアの犬』はイメージの洪水のような映画である。

アンダルシアの犬から

 また、ロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』では舞台、廊下、背景が不思議な感覚の絵で構成されている。

上の2枚はカリガリ博士から。歪んだ廊下やシルエット

 反対意見もあるだろうが、これらの作品とサスぺリアは明らかに同系列の作品に属するといえるだろう。サスぺリアの素晴らしいところは、まさにそこであり、本来であれば、一番に評価されるべきところといえよう。

より詳しくはアンダルシアの犬と『サスペリア』のページへ

『ファントム・オブ・パラダイス』がきっかけ

 スージー役にジェシカ・ハーパーを起用したのは、アルジェントがブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』を見たのがきっかけだった。ハーパーの大きな目と、純真なイメージに引かれたという。ジェシカ・ハーパーは『サスペリア』を作るにあたって念頭に置いた『白雪姫』のイメージに近く、アルジェントは彼女をまさに白雪姫だ、と思った。そこで、彼女がオファーされたわけである。
『ファントム・オブ・パラダイス』のジェシカ・ハーパー

ファンタジーに方向転換

 アルジェントは『サスぺリア』と『インフェルノ』の脚本執筆時、日光の当たっている白い壁を見つめながらアイデアを出していった。何もアイデアが思い浮かばない日は、自分がすべて否定されたように感じ、完全に自信がなくなって一日中暗い気分になった。そのため、『サスぺリア』と『インフェルノ』はアルジェント自身の心から生まれてきた作品だといえる。

 一方、ダリア・ニコロディにとっても『サスぺリア』と『インフェルノ』は自分自身を投影した作品だ。『サスぺリア』と『インフェルノ』にはダリア・ニコロディ自身が体験したことや彼女自身の知る文化的な背景などがベースとして織り込まれており、ダリオ・アルジェントだけの力では映画を完成させることはできなかっただろう。事実、サスぺリアのベースとなったトマス・ド・クインシーの文学について、アルジェントはダリア・ニコロディから話を聞く前は表面的な知識しか持ち合わせていなかった。ダリア・ニコロディは何冊もクインシーの本を読んでおり、ダリオ・アルジェントにクインシーの本を勧めたのはダリア・ニコロディだった。ダリオ・アルジェントはスリラー映画を連続して発表した後、どの方向へ進むべきか迷っていた。そのころ、アルジェントにジャーロ映画のジャンルを捨てて、魔術を扱ったファンタジーものへの転換を勧めたのがダリア・ニコロディだったのである。

深き淵よりの嘆息

 『サスペリア』を完成させるうえで、ダリア・ニコロディの貢献は計り知れない。『サスペリア2』を撮影中、ダリア・ニコロディはアルジェントに自分の祖母がピアノ学校にいた頃の体験を話した。放課後、そこでは黒魔術が教えられていたというのだ。ピアノ学校はバレー学校に置きかえられ、『サスペリア』の脚本は書き進められた。そして『サスペリア』のもう一つの元ネタであるトマス・ド・クインシーの『深き淵よりの嘆息』をダリオに紹介したのもダリア・ニコロディだ。アルジェントは『サスペリア2』を完成させた後、ヨーロッパの超自然的なアイデアに興味を持ち始めた。アルジェントとダリア・ニコロディはドイツやスイスなどの歴史のある欧州各地を見て回り、黒魔術についての資料の収集をした。スイスのドルナッハのにはルドルフ・シュタイナーが作った共同体があり、人々は詞や舞踊、魔法などを研究しているという。この場所が『サスペリア』の着想の源となった。

 『サスぺリア』のストーリーは、ダリア・ニコロディの祖母に実際に起きた話を元にしている。ダリア・ニコロディの祖母は、15歳のときにピアノを習おうとバーゼルの近くにあった学校に入学した。ところが、そこはピアノではなく、黒魔術を教える学校だったのだ。後になってダリア・ニコロディは、この学校(ゲーテアヌムを指していると思われる)が火事で焼失したことやコンクリート造りになって再建されたことを知った。そこでニコロディはダリオ・アルジェントと2人で、名前を明かさないまま、そこへ見学に出かけた。だが、学校側では2人を中に入れてくれなかった。ダリオ・アルジェントはどうしてもダンスのレッスンを見たいと思い、パキスタン人の女の子を言いくるめて内緒で中の様子を見せてもらった。

 2人が学校を出ようとすると、背の高い銀の取っ手のついたステッキを持った本物の魔女が出てきて、その魔女はダリア・ニコロディの名前を呼んだ。誰にも身分を明かしておらず、名前を知っているはずがないのにである。そのうえさらに、その魔女は祖母のことを聞いてきたという。そのとき、ダリア・ニコロディは祖母がいっていたことが本当だと確信した。

 『サスぺリア』の脚本執筆時には、本物の魔女にあって話を聞いたりもした。人間の暗黒面が強調されるこのような人々と直面するのは非常に精神力の必要な仕事であり、ダリア・ニコロディは夜うなされることも多かった。ダリア・ニコロディはフランスの錬金術師フルカネリの書いた建物に関する「大聖堂の秘密」や「賢者の住居」といった著作を研究したり、各地に建てられた特徴的な建築物を探して回ったりした。ブリュッセルのピーコック館やバグヘリアの怪物館といった建物は『インフェルノ』では実際にセリフとして名前が出されている。


 トマス・ド・クインシー(1785−1859)の代表作は『英吉利阿片服用者の告白』(Confessions of an English Opium Eater)。その続編に当たる『深き淵よりの嘆息』(Suspiria de Profundis)の中には「レバーナと悲しみの淑女」(Levana and Our Ladies of Sorrow)と題する一遍がある。そこには明らかに『サスペリア』と『インフェルノ』の下敷きとなった記述が含まれている。マーテルラクリマルム、マーテルサスピリオルム、マーテルテネブラルム、の3人の魔女が登場する。

 アルジェントは『サスペリア』でディズニーの白雪姫の色彩を再現しようとした。主人公のスージーがフライブルグの空港に着くオープニングシーンから、そこはもう、赤、黄色、青など宝石のようにきらめく色彩の世界が広がる。撮影監督のルチアーノ・トボリとアルジェントは、1950年代と同じ方法でテクニカラーを使うことを試みた。すなわち、光の3原色、赤、緑、青を利用したのである。『サスペリア』が撮影された当時、すでにコダックには同じ種類のフィルムの在庫はもうほとんど残っていなかったが、色彩効果は観客に衝撃を与えた。『サスペリア』は一部の悪評にも係わらず、アメリカでは外国映画としては異例のヒットとなった。

色彩の秘密、フィルムは中国から

 アルジェントは「スリーパック」というフィルムを使用して『サスペリア』を撮影した。コダックのこのフィルムは50年代に使用されていたものの、70年代には撮影現場から消えていたため、中国に現存していた在庫を取り寄せて使用した。フィルムは三色にわかれていて、別々に撮影されたものを現像段階で合成、現像段階で色を抜いたり強調したりした。フィルムの感度は現在とは比較できないほど低感度のASA18-20だったため、現場は照明だらけの状態でまさしく「光の闇」だった。

テロリズムの最中に撮影

 アルジェントが『サスペリア』を撮影した当時、撮影地のドイツではバーダー・マインホフ(ドイツ赤軍派)のテロリズムが吹き荒れていた。空港のシーンを撮影しているとき、すぐ近くで爆弾が爆発し、大きな窓ガラスが割れ、数人がけがをした。ドイツでの撮影は3カ月かかったが、その間、撮影スタッフは街のどこへいっても安心できなかった。(左はバーダー・マインホフの手配ポスター)

イタリア語版の冒頭のナレーションはアルジェント

 『サスぺリア』の冒頭のナレーションは、イタリア版のフィルムでは、アルジェント自身がイタリア語で吹き込んでいる。

タクシーのなかのゴースト

 冒頭のタクシーのシーンには一瞬、左の写真のように運転手の首すじに奇妙な顔が写っている。これは日本公開の当時、「幽霊が写っている」として話題になった。だが、実際のところ、この幽霊は偶然に写ったものではなく、意図的に演出されたものである。

うじ虫

 『サスぺリア』には大量のうじ虫が小道具として登場する。いわゆる「動物屋」と呼ばれる業者がタライいっぱいにうじ虫をもってきて、映画は撮影された。撮影現場は強い照明で暑かったため、うじ虫は次々とサナギとなり、成虫に成長した。このため、役者達は気持ちの悪い思いをしたという。ステファニア・カッシーニは後のインタビューで「足の下で踏みつぶされる虫の音をまだ覚えている」と語っている。ただ、顔に落ちてくるうじ虫が本物ではなかったことは役者たちにとって、せめてもの救いだったようだ。ロングショットの部分のうじ虫は本物の代わりに米粒を使った。

眼球串刺しのたねあかし、サラの首切りシーンでは魚を切った

 『サスぺリア』では、サラ役のステファニア・カッシーニの死体の眼球にピンが突き立てられているシーンがある。これは、まずカッシーニの顔を型取りし、盲人用の義眼を眼科医に作ってもらって撮影したものだ。また、『サスぺリア』にはカッシーニが何者かに襲われて細長いガラスに頭を突っ込むシーンがある。割れるガラスは撮影用の安全ガラスだったが、撮影中、アルジェントはカッシーニにガラスが安全であるとは知らせず、カッシーニに本当の恐怖を味わわせながら撮影した。

 また、針金に絡まれながらカッシーニが首を切られて殺される場面で、カッシーニの首を切ったように見えるのは、実は魚を切っている。魚はクローズアップに撮ると、人間の肉のように見えるため、魚をカミソリで切ったところを撮影し、首を切ったようにみせた。

 ワインを飲んだジェシカ・ハーパーがベッドに入って眠りそうになりながらもステファニア・カッシーニと話をするシーンでは、カメラがカッシーニの眼前にセットされた。ダリオ・アルジェントはカッシーニに瞳に恐怖の色を浮かべて欲しいと注文した。

青いアイリスは映画の途中でも登場している

 うじ虫が天井から降り注いだ事件のあと、副校長役のジョーン・ベネットが生徒たちに事件のてん末を説明しているシーンでは、ベネットの背後の壁に映画のキーワードとなっている青いアイリスが写し出されている。映画を注意深く見ていれば、もしかするとこの時点で観客はこの青いアイリスに気付くかもしれない。『サスぺリア2』では、映画のはじめの部分で犯人の顔がすでに画面上に写し出されていたが、『サスぺリア』の青いアイリスの見せ方は、『サスぺリア2』のこの演出にも共通する部分がある。

スージーは8歳くらいの少女と想定

 当初のアイデアでは、『サスペリア』は10−12歳の生徒のいる女学校を舞台にしようと考えていた。アルジェントはその線で原案を書き、映画の出資者にそれを送ったところ、子供の映画はだめだと言われてしまった。そこでアルジェントは年齢を18歳ぐらいに引き上げたが、当初のアイデアは消えずに残っている。例えば、この映画には性的な描写は一切描かれていない。また、スージーが魔女のいる秘密の部屋を探しにいく際のドアのハンドルは非常に高いところに作られた。これはスージーがハンドルに手をのばすために少女のような格好になるのを狙ったものである。寄宿舎の女子生徒のように、全員が1つの部屋にキャンプをしているかのようなシーンもある。アルジェントはスージーを8歳くらいの少女だと想定して演出した。

 このアイデアは『フェノミナ』にも活かされている。『フェノミナ』に主演したジェニファー・コネリーは当時13歳だった。アルジェントは『サスペリア』で実現できなかった学校の女子生徒というアイデアを『フェノミナ』で再現したのだった。

魅力的なプールのシーン

 ジェシカ・ハーパーとステファニア・カッシーニがプールで泳ぎながら話をするシーンでは、プールサイドに沿ってレールを2本引き、そこにタラップを掛けて、その一番上にカメラを供えて撮影した。アルジェントは2人にできるだけ水しぶきを上げないようにして泳ぐように指示した。2人が息継ぎをすると、カメラは後退し、プールの天井近くまでカメラが上昇して、プール全体が写るようになっていた。

ミリウス教授のミステイク

 ミリウス教授がスージーに説明する聖アウグスティンの有名な引用句「Quoddam ubique, quoddam semper, quoddam ab omnibus creditum est」(魔法は世界中のどこにでも、あらゆる時代に存在し、常にその存在は人々によって認知されてきた)というセリフは、実はミリウス教授役の役者が自分の台本を撮影中になくしてしまったために、間違っている。正しくは「Quod ubique, quod semper, quod ab omnibus creditum est」である。

バレエと魔術の絶妙な組み合わせ

 魔女、魔術というオカルトの世界とバレエの組み合わせも絶妙だ。ダリア・ニコロディによれば、バレエは魔術の修行にも似ているところがあるという。バレエは外部と隔絶した場所で、生徒たちに非常に過酷な練習を強いる。モラルについても厳しいうえ、極端なダイエットも必要だ。バレエは神経を逆なでする面も持ち合わせており、ごくわずかな何でもない出来事でさえ、不合理でオカルティックなものへと変質させるドアにもなりうるのだ。バレエと演劇はオカルト的な要素を混ぜ合わせるようにして行う表現活動といえるだろう。

30個のライトで稲妻を演出

 『サスぺリア』の製作費は13億リラ(当時のレートで約4億円)で製作期間は2年かかった。時間がかかったのは、映画に出てくる魔法に関して様々な研究をしていたためだ。いろいろとトリックを考えなければならない撮影が多かったため、苦労した点は多く、電気仕掛けのコウモリを飛ばすシーンなどが難しかった。一番頭を悩ませたのは、雨のなかでいろいろな事件が起きる映画なのにもかかわらず、雨がなかなか降ってくれなかったことで、仕方なく、ロケ先の消防署に頼んで人工的に雨を降らせてもらった。30個ものライトを使って稲妻の効果を出した。この当時、アルジェントはオプチカル合成のようにフィルム上で処理する特殊効果を嫌い、『サスぺリア2』のリモコン人形のように、現場で本物を使って見せるトリックを好んだ。

宣伝戦略

 『サスペリア』の日本公開時の宣伝コピー、「決してひとりでは見ないでください」はヒッチコック監督の『サイコ』の惹句である「結末をしゃべらないでください」からとられた。このコピーを考えたのは東宝東和の宣伝部長だった松本勉氏。予告編におけるナレーションは千葉耕市氏が担当した。

 東宝東和は『サスペリア』の公開に当たり、「ショック死保険」付きという宣伝をした。これは女性の観客に対して、映画の鑑賞中にショック死したら1000万円の保険金が支払われるというもの。このような保険は日本では認められなかったため、イタリアの会社と保険契約を結んだ。東京中央区の銀座にあるヤマハホールで開いた「サーカムサウンド試写会」では実際に看護婦を入り口に待機させた。公開初日にも東京の日比谷映画で看護婦を待機させたが、誰も倒れることはなかった。

 『サスペリア』では音響立体移動装置「サーカム・サウンド」という音響システムを前面に打ち出した宣伝をした。『サスペリア』のポスターには「5分間に1回。あなたを直撃する恐怖の超音波」として「サーカム・サウンド」が紹介されている。もちろん、実際に恐怖の超音波が観客を直撃するはずがない。

 「サーカム・サウンド」は『サスペリア』以前に公開されたイタリアの恐怖映画『デアボリカ』から始まった。公開時のパンフレットでは、日本ビクターと共同開発した音響システムだと説明されている。これは、75年の『大地震』が「センサラウンド方式」という重低音を利用した音響システムで話題となった影響が大きい。「センサラウンド方式」では劇場のスピーカーを6チャンネルに入れ替える必要があったが、4チャンネル方式はビクターの4チャンネルの磁気録音スピーカーがあれば、すぐに導入することができた。これ以降、4チャンネル磁気録音スピーカーを使った恐怖映画では○○サウンドというようなネーミングが売りの1つとなった。「サーカム・サウンド」というネーミングは『サスペリア2』と『レガシー』に引き継がれた。その他。『レディ・イポリタの恋人/夢魔』では「4チャンネル悪魔音」、『テンタクルズ』では「トレンブル・サウンド」、『ファンタズム』では「ビジュラマ」、『ザ・ショック』では「SCARY−4チャンネル・ステレオ」、『猛獣大脱走』では「ロアリング360」などとネーミングされた。

 『サスペリア』は当時の恐怖映画としては異例の12億円の興行収入を上げた。

水晶の羽を持った鳥

 魔女のエレナ・マルコスの部屋にはガラスでできた孔雀の置物が置いてあり、スージーは、ガラスの羽の一つをつかんで魔女を刺し殺すのだが、これはまさしくアルジェントの監督デビュー作『歓びの毒牙(L'Uccello dalle piume di cristallo)』の原題「水晶の羽を持った鳥」なのである。

ジャーナリズムによっても絶賛

 プレスシートなどによると、『不気味なカメラ・アングルとぞっとするサウンド、血なまぐさい殺人。アルジェントの手法がさえている』(米・バラエティー紙)、『偉大な魔術と巨大なメカニズムによって血とパニックが提供される』(伊・スタンパ紙)とジャーナリズムによっても賞賛されたとしている。

ステファニア・カッシーニはダリア・ニコロディの代役だった

 この映画は当初、ダリア・ニコロディが主役のスージーを演じる予定で脚本が書き進められていた。しかし、米国の配給業者は米国で映画を売りやすくするために主役にアメリカ人の俳優を推薦してきた。そのため、アルジェントは主演にアメリカ人のジェシカ・ハーパーを起用。ダリア・ニコロディは助演のサラの役を割り当てられた。しかし、ダリア・ニコロディは助演はいやだと反発し、出演を拒否した。そのため、彼女は冒頭の空港のシーンにカメオ出演した以外、この映画には役者として関わっていないのである。これは当時、ダリア・ニコロディはバレエのリハーサルの時にかかとを痛めて降板したと説明されたが、この公式発表は弁解に過ぎなかったことになる。
                                     
 アルジェントはニコロディが降板したため、早急に代役が必要となり、若い女優を何人か試したあと、ステファニア・カッシーニに白羽の矢を立てた。サラの役を演じるに当たって問題となったのは、カッシーニはバレエがまったく踊れなかったことだ。そのため、カッシーニは撮影の前に3週間に渡ってクラシックバレエのレッスンを受けた。これがきっかけで、カッシーニはクラシックバレエが気に入り、撮影が終わったあともレッスンを6、7年続けたという。

 『サスぺリア』の出演オファーを受ける少し前、カッシーニはテレビ出演の契約が決まりかけていた。ちょうどそのとき、アルジェントがカッシーニを呼び、スクリーンテストを受けさせたのだった。カッシーニはダリオ・アルジェントからの「君はこの映画にピッタリだ」という言葉を聞き、テレビ出演を断ってサスぺリアへの出演を決めた。カッシーニにとって、サスぺリアの撮影現場は毎日が冒険に近かった。「ダリオには映画に携わる人々を熱狂させる才能がある。アルジェントといると、撮影中はエネルギッシュで革新的な考え方をするようになる」とカッシーニは語っている。

ジャーロ風の構成が脚本のネックか

 『サスぺリア』のストーリーは一部の批評家からは、単純であるとか、論理性がないなどと批判されている。アルジェントの映画はすべてが謎解き風の構成になっているのがネックだともいえる。『サスぺリア』はスーパーナチュラルな存在を描いた作品であるにもかかわらず、アルジェントの初期の作品と同様、相変わらず、犯人探しにもポイントがおかれている。観客に犯人探しをさせようとするのは、アルジェントが根っからのジャーロ作家で、このような展開にしないと、気が済まないからかもしれない。

 『オーメン』や『エクソシスト』など、米国のオカルト映画は、最初から悪魔の存在を観客に示しており、犯人探しの要素はない。そのために、奇怪な殺人事件が次々に発生しても観客は納得する。しかし、『サスぺリア』や『インフェルノ』では、映画の途中では次々と発生する殺人事件の犯人が分からないばかりか、そもそも殺人が何のために行われているのかも不明である。映画の一番最後になって、事件の背後には魔女がいたと分かる構成になっているため、映画の途中では観客にとって訳の分からない場面が続出するということになる。また、『サスぺリア』でも『インフェルノ』でも、殺人は魔女自身の手で行われておらず、これがアルジェント作品の批判者からは論理性がない、分かりにくい、と批判される原因のひとつになっているのであろう。

エラスムスの家

   

『サスぺリア』のバレエ学校は哲学者エラスムスが住んでいた家(フライブルグ)を参考にセットがデザインされた。

バージョン違い

 ソニーが発売したビデオ、LDはテレビサイズにトリミングされており、残酷なシーンに一部、青いフィルターで修正が施されていたが、ステレオ版であった。その後、NECから発売されたフィルター修正なしの完全版LD、スペクトラル・コレクション版LD、カルチュア・パブリッシャーズ版ビデオ、DVDはノートリミングだがモノラルマスターである。米イメージ・エンターテイメント版LDは日本のバージョンよりもやや横長でステレオ収録である。イタリア語版では冒頭のナレーションはダリオ・アルジェントが吹き込んでいる。


 オリジナルバージョンのタイトルは黒のバックに白地でSUSPIRIAと出るが、アメリカ上映版のフィルムには冒頭で左のようなタイトルロゴが使用されているバージョンが存在する。これは米国のポスターでも使用されているロゴであり、このバージョンのフィルムは映画冒頭の空港のシーンにおけるパンショットが割愛されている。

オリジナルバージョンのタイトル(左)とアメリカンバージョンのタイトル(右)

「カリガリ博士の子どもたち」でのプロウアーの分析

 オックスフォード大学教授のS.S.プロウアーは著書「カリガリ博士の子どもたち」で『サスペリア』について以下のような記述をしている。

 アーウィン・パノフスキーやアンドレ・バザンやジークフリート・クラカウアーが公言した、リアリズムにそむくものにたいする非難にもかかわらず、美術監督が舞台のフラット(書割り)のやり方で様式化して描く背景もまた、無気味なものを表現するレトリックにふくまれるだろう。めざましい最近の例は黒沢明の『どですかでん』(1970)である。まったく写実的でない色彩の使用、誇張してつくったセット、そして一定のスタイルにはめた演技に、「〈客観的な〉世界のきびしい現実から幻想へと逃げこんだ」(ジョーン・メリン)人々の生活に感覚的に対応するものをみいだそうとしていた。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(1977)も、魔術によって歪められた世界を描きだすのにおなじような手法を用いて、みごとに成功していた。ただ、アルジェントの俳優たちは、いちばん目をぎょろぎょろさせるような瞬間でさえも、西欧の観客には黒沢の俳優たちよりもずっと写実的な印象をあたえる演技をしていた。

 多くの閉じられた場所が争うように恐怖映画に使われてきた-『獣人島』の島の実験室、『歩く死骸』(1936)の牢獄、『悪魔のような女』の地方の学校、そしてダリオ・アルジェントの『サスペリア』(1977)では(非常に特異な)バレエ学校までが。このコンテクストでは『サスペリア』はとくに重要である。『カリガリ博士』ほど徹底したものではないが、やはり舞台用フラットをまねた様式化されたセットの試みをしているからだ。

バシュラ−ル的夢想を誘う映画−松浦寿輝氏

 芥川賞作家であり、東京大学教授でもある松浦寿輝氏は「映画n-1」12ページ(液体論)で、『インフェルノ』の地下の水没した部屋のシークエンスについて、「ガストン・バシュラール風に言えば<水>と<大地>との結合による(『水と夢』ジョゼ・コルティ版、142頁以下参照)二重の物質的想像力を揺り動かさずにおかないあの下向運動は、思春期の少女の未成熟な官能の抑圧とその解放を迫る外部からの暴力的な蹂躙の隠喩的形象化として、ほとんど耐えがたいほどの息苦しい緊張を醸し出していた」と分析している。松浦氏は、「湖底に水没した『イリュミナシヨン』のサロンを思わせるような、地の底のそのまた地下にひそむ忘れられた客間を満たす水の物質性にせよ、悪霊の跳梁する存在するはずのない中二階の<空間の詩学>にせよ、『インフェルノ』ほどバシュラール的な夢想を誘う映画も珍しいのではないかと思う。天井にあいた穴から足を滑りこませ、まといつく水のなかを床へと漂い降りていった少女の退路がミイラ化した死骸によって断たれるとき、われわれはほとんど甘美とさえ呼びたくなるほどの窒息感で映画的液体の現前を触覚することになるのだ」と論じている。

  さらに、松浦氏は『サスぺリア』のプールのシーンにも言及しており、「バレー学校のプールで立ち泳ぎしながら話をしている二人の少女を階上の手摺からの俯瞰と仰角の水中撮影との切り返しで撮ったこのシーンは、凶々しい事件など何一つ起こらずにすべてが予感のうちにとどまったまま終わるだけになおさら無気味な迫力に満ちていた」と評している。また、「画面の上方から無防備に突き出してゆらゆら揺らめいている四本の脚にせよ、俯瞰キャメラのまったく無意味な左右の横移動にせよ、レンズの瞳は外なる異物の冷酷な視線に完全にのっとられ、少女たちを取り囲む空気や水を暴力的な悪意の視力でじわじわと毒で冒し侵犯してゆくかのようだったのである」と分析している。

アンカーベイ「サスペリア」DVDの隠しコマンド

 アンカーベイから通常版と3枚組限定版で発売された『サスペリア』には、特典映像以外にも隠れたオマケが収録されている。メインメニューから"Special Features"を選び、画面が変わったところで右の矢印キーを押す。孔雀の羽が光るので、ここで選択キーを押す。これで、40秒ほどのアウトテイク(NG)シーンが始まる。

各映画ガイドによるストーリー紹介

各映画ガイドにおける作品紹介を比較する。短いコメント文でも、筆者の見解が分かれるのは興味深い。

ぴあシネマクラブの紹介文

 ホラー映画作家アルジェントの名を一躍高めた作品。アメリカの美少女スージーが、ドイツのバレエ学校に入った。が、そこは悪魔崇拝者たちのアジトで、彼女は連続殺人事件に遭遇する。夜ごと聞こえる靴音を数え、そのとおりに進んだスージーが見たものは…・。隠しドアの向こうの部屋には、目に見えぬ魔女がいたのだ。雷でパッ、パッと浮かぶ魔女の輪郭。スージーは、力をふりしぼってナイフを突き刺す。ガラスの破片が顔面を割ったり、ナイフでメッタ刺しにしたり、痛々しい殺しの表現が恐ろしい。また、赤い部屋、赤い照明など、赤を基調にした映像もムードを高めている。惨劇に必ず流れる、ゴブリンの音楽も不気味だ。

スクリーン誌の封切作品紹介

 「カサンドラ・クロス」や「グレートハンティング」を生んで、いまやヨーロッパ映画界で最も活気を呈しているイタリアが、同国映画史上最高といわれる高額の製作費を投入して作った恐怖映画。本国イタリアでは、今年二月末に封切られたが、公開と同時にヒットし、次々に記録を更新しているという、原色に近い強烈な色彩と”サーカム・サウンド”方式による間断なく脈打つ不気味な音響が、繰り返される凄惨な殺人ミステリーの恐怖を盛り上げている。製作はクラウディオ・アルジェント、監督は弱冠三四歳のダリオ・アルジェントで、ここ七年間は恐怖映画ばかり作っていたという。脚本も彼自身が担当、撮影は「さすらいの二人」のルチアーノ・トポリ、音楽は人気ロック・グループのゴブリンがそれぞれ当たっているが、このサントラ・レコードも発売と同時にヒットしている。主演は「ファン卜ム・オブ・パラダイス」のジェシカ・ハーパーと「アンディ・ウォーホルのBAD」のステファニア・カッシーニ、共演は「花嫁の父」のジョーン・ベネット、「カサンドラ・クロス」のアリダ・パッリのベテラン女優のほか、「O嬢の物語」のウド・キアーか特別出演している。〈原題『呻き』一九七七年度作品。一時間三九分。色彩。東宝東和配給)

全洋画の解説文

 ヨーロッパのバレエ学校に入学したスージーを待ち受けていた奇怪な体験。次々と殺人が起こる中、彼女は学校に魔女が棲んでいる事を突き止める。D・アルジェントは原色に近い派手な色彩と音楽(ゴブリン!)の合体でスタイリッシュな作品を造り上げ、その手法は以後のイタリアン・ホラーに大きな影響を与えた。

映画監督ジョン・カーペンターのコメント

 映画監督のジョン・カーペンターはエンターテイメント・ウイークリー発行の「100 GREATEST MOMENTS IN MOVIES 1950 - 2000」の中で『サスペリア』について以下のようにコメントしている。

「プロットは忘れて、ダリオ・アルジェントの絶妙なゴーストストーリーを見るがいい。音楽が始まれば、それが恐怖の時だ。フェミニスト、17歳以下の子供、そして、小心者は劇場への入場を認めるべきではないだろう」

アルジェントは商売本位の活動屋なのか

 京玲二氏はキネマ旬報712号173ページで、「早い話がアルジェント自身、ヒッチコックであるより、ポランスキーやフリードキンライクである」と指摘している。「映画はカルチャー・スタンダードを高めるものであってほしい」と書き、サスぺリアについて「『ローズマリーの赤ちゃん』や『エクソシスト』の良いところを、ちゃっかり頂いて、サワリの部分だけつないだだけでは、計算上はいかに上手くいったところで、作品の風格が損なわれ、作者の品性も俗悪になってしまうことを、不幸にしてアルジェントは気付かなかったようだ」と批判している。またダリオ・アルジェント自身についても「活動屋としては合格だろうが、映画人として名を残すには修行が足りない」と非難。さらに、「最も、圧倒的多数を誇る商売本位の活動屋の前に、優れた映画人が、極めて少数の故をもって、過小評価されがちなのは、人の迷惑かえりみず売名に走る99%の政治屋(Politician)と政治家(Statesman)の関係に似て、皮肉である」と批評を結び、アルジェントを商売本位の活動屋だと断言している。

 京氏は『サスぺリア』をロマン・ポランスキーやウィリアム・フリードキンの映画の亜流であり、イタリア製エクスプロイテーション映画の1本であるとして、切り捨てている。むろん『サスぺリア』のストーリーはトマス・ド・クインシーの小説をベースに、ダリア・ニコロディの叔母の体験や欧州の魔術の研究調査などをミックスしてできたものだ。京氏のいうように『サスぺリア』に先行したオカルト映画をなぞっただけの映画ではない。

 京氏の書くように、低い志でホラー映画を量産する圧倒的多数の商売本位の活動屋の前に、アルジェントのような映画人が、彼らと同じカテゴリーの作家として過小評価されがちなのは残念である。

ジェシカ・ハーパー「アルジェントは作家としてのビジョンを持っている」

 ダリオ・アルジェントはブライアン・デパルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』をみてジェシカ・ハーパーを気に入り、オーディションなしにジェシカを主役にオファーした。ジェシカはそれ以前には、アルジェントの作品を良く知らなかったが、オファーを受けてからアルジェントの映画を何本か見た。ジェシカはイタリアに行く前にイタリア語を勉強したが、「とっても早く覚えられたので問題はなかった」という。

 ジェシカは子供のころからダンスを勉強しており、それがサスぺリアで役を演じるうえで役に立った。サラ・ローレンス・カレッジでの経験とブロードウェーの『ヘアー』に出演したことは演技に必要最小限の影響を与えたようだ。ジェシカにとって、サスぺリアの撮影はとても良い記憶として残っている。

 ジェシカ・ハーパーはブライアン・デパルマやウディ・アレンなど著名な映画監督とも仕事をしているが、「アルジェントは彼らと同様に作家としてのビジョンを持っている」と評価する。詳細な表現にいたるまで、アルジェントは自分の欲しいものを知っていて、そのためにはどうすれば良いかも分かっていたからだ。共同脚本を担当したダリア・ニコロディは、スージーの役を自分が演じるために書いたとのことだが、ジェシカとダリア・ニコロディは、ほんの短時間だけしか合うことはなかった。

 サスペリアの仕事について、ジェシカは「本当に楽しかった。イタリア人も彼らの仕事や技術も大好きです。4カ月間のイタリア滞在はとってもすばらしいものでした」と述べている。



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